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「才能がない」という言い訳

才能があれば、最初から何かしら

突出した結果を出せるはず。

そんな思い込みが、年をとるほどに増えてきた気がする。

だが、それは言い訳ではないのか?


そう思ったのは、ダウジングを習っている先生が

言ったことがきっかけだ。


「ピアノと同じで、どんなに才能があっても、

始めて3カ月でショパンは弾けない。

ただ、どんなに才能がなくても、練習をちょっとずつ続ければ、

何かしらの曲が弾けるようになる。」


私はピアノを25年続けたから分かる。

決して才能はなかったが、続けたからこそ

面白いと思う程度には技術を身につけることができた。


子供は何か新しいことを学ぶ時、

才能の有無は考えないと思う。


「歩く才能がない」なんて考えず、

何度もころんだりしながら、歩けるようになる。


「話す才能がない」なんて考えず、

膨大な語彙と複雑な文法を体得していく。


「才能がない」は、これから練習に必要とされる

時間や努力の前にひるんでいる時に出てくるのかもしれない。

自分の時間が有限であることに気づいているから。

子供の時より、新しいスキルが自分の身になるのが

ずっと難しくなっているから。


そうだとすれば、むしろ才能の有無を考える必要はない。

「自分はこれに時間を使いたいと思うか?」とだけ

問いかければいい。

「魅力を感じているか?」「情熱を持てるか?」

それだけだ。


気長に、少しずつ練習を楽しみたいと思う。






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