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54歳で勤務しながら佛教大学文学部通信教育課程で中国語学習開始、57歳の時に岐阜市立商業高校で教育実習終了して、第1種中国語高校教員免許取得。3番
私はある日、新聞を何気なく見ていたら、高校の中国語の教員免許取得できると書いてありました。そのとき、定年後、中国語の高校の先生になろうと思い、名古屋で通信教育の大学説明会があり説明会へ行きました。
その会場には、大勢の若者が来ていました。また、50歳代位の男性が1人いたのを覚えています。
その説明を聞いた中で特に印象に残っているのが、通信教育は自己管理が大切、佛教大学通信教育受講者、毎回、1万人いるが1割の1,000人が、通信教育を最後までやり遂げるかどうかだということを。
其の説明会会場で申し込み書類を頂き翌日、即、郵送で申し込み、私は54歳の10月に佛教大学文学部中国学科へ入学しました。
すると、1週間過ぎて大学から教科書が25科目分郵送されて来ました。
ダンボールを開けて驚き本当にこれから自分が仕事しながら、出来るだろうかとすごく強い不安に襲われました。
ただ呆然と立ち尽くし見ているだけとはこういうことを言うのだとつくづく身をもって感じました。
また、私は何も解らずに何から手をつけようかと思案していると、名古屋の会場の説明会で知り合いになった3つ年上の幸山さんという男の方から電話があり、どうしているか?と聞かれました。
幸山さんは、10年前に一度通信教育で佛教大学を卒業した経験から、本当によく内容をご存知で勉強の仕方等大変お世話になり、毎月学習計画をしっかり組む大切さを教わり、私なりに計画して、毎朝、平均3時30分に起床して、1科目ずつ学習に取り掛かり、レポートを毎月提出して、レポート合格後の科目最終筆記試験を岐阜と名古屋地区の試験会場で受けました。
試験問題は、過去問題で出題された7つ8つの問題の中から1問出題されて、解答用紙に800字以内で書かなければならない。そこで、毎月、7つ8つの問題の回答案をレポート6枚から9枚作成すると、字数で4800字~7200字となり本当に毎月2年間半というもの大変でした。
もちろん毎月のレポート提出も400字原稿用紙8枚から16枚作成しなければなりませんでした。だから、岐阜県立図書館へ行って調べたりして大変でした。
特に12月と1月は、忘年会と新年会で深夜近くに帰ることが多く、寝る時間が少なかった記憶があります。
そんな時、私はいつも「やってやれないことはない、やらずにできるわけがない」と、毎朝通勤の自家用車の中で何回も何回も自分に言い、「ついている、ついている、ついている。」と、10回言って元気を出して仕事に向かって行きました。
そんな状況の中で通信科目の中でも特に強い思い出深いのが、一般科目の英語コミュニケーションとコンピューター情報処理です。
もう何十年も英語から離れていたので、1ページ訳すのに昔の英語の辞典を引っ張り出して、どんな単語でも方っぱなしに引くものですから、1ページ終わるのに、2時間半かかるので、岐阜大学の学生さんに一冊30,000円で訳してもらおうと頼んだら、誰も引受人がいなくて、とうとう3ヶ月掛けて1冊のテキスト自分で苦労しながら訳して試験に望み、どうにか単位取れましたが本当に困難でした。しかし、今、自負できるのは、一生懸命やり抜いたという満足感と嬉しさです。
また、難しい内容の教育原論・教育心理学・教育方法学等教育科目や中国古典文学の歴史や異文化理解等や中国語の基礎演習と中国語Ⅰ・Ⅱ・Ⅲおよび京都の佛教大学へのスクーリングでの男性中年中国人教授による中国語の授業を思い出し懐かしくもあり、尊い経験したのだと感じます。
それから、教育実習ですが、岐阜の教育委員会から、自分でアポ取っていきなさいと言われ、岐阜市立商業高校に行き、校長室で校長先生から、私より年上の教育実習生が来たのは初めてと言われ談笑しました。そして、10月4日から18日までの2週間岐阜市立商業高校で自分の子供よりも更に若い子供たちと一緒に仲良く中国語の教育実習させてもらいました。
57歳と言うのに、こんな貴重な経験が出来たのも、家族や知人や先生方に深く感謝して心よりお礼を申し上げます。有り難うございました。