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気象学史2:コンピュータの登場

前回の続きで、気象学の歴史です。

初めて気象予報に物理法則を持ち込んだのがクリーブランド・アッベ(1838-1916)でした。

そのアッベが採用したのがナビエ・ストークス方程式と呼ばれる流体力学の分野です。

流体のイメージは、水などの液体の動きを連想しますが、気体でも動く固体でも適用されます。ようは「運動量が変わっていくときの方程式」という意味合いです。

従って、地球の大気の動きだけでなく、宇宙の構造をシミュレーションするときにもこの方程式が使われています。

ただしその数式は結構複雑で、これを正確に解くのは今の最新コンピュータでも難しいです。

アッベがこのアイデアを1901年に論文で発表しましたが、すぐに実用化には至りませんでした。

それでも彼の野心的なビジョンは後世の科学者の情熱に火をともし、その一人が英国の物理学者ルイス・フライ・リチャードソン(1881-1953)です。(厳密にはその夫妻の貢献)

リチャードソンは、アッベのアイデアに従い予報対象範囲をグリッド(格子)上に区切って、各点での気象情報を基にしてナビエ・ストークス方程式による気圧結果を計算します。念のためですが、当時の計算はすべて紙とペンによるものです。

具体的には、1910年5月20日午前4時の大気データをもとに3時間後の計算、そしてその結果をもとにさらに3時間後の計算結果をはじきました。
この6時間後のシミュレーションにかけた時間は実に6週間!シュールとさえ感じます。

この史上初の物理法則に基づく数値計算では「145hPa」に上昇する、という結果を得ました。
が、この値は地上での最高気圧をはるかに超えるもので、照合するまでもなく失敗であることが一目瞭然でした。

失敗の原因は当時のデータ精度や計算に含めるべき他の要素があったことが後年になって判明しますが(詳細は上記Wiki)、彼はその失敗談を1922年に「Weather Prediction by Numerical Process(数値手法による気象予報)」として出版します。

失敗はしましたが、その試みは次の挑戦者へバトンが渡されることになります。

そして次のブレークスルーは「計算能力」、つまり(電子式)コンピュータの発明でやってきます。

史上初のコンピュータはENIACと呼ばれ、ジョン・フォン・ノイマンがそのアーキテクチャーを考案したとするのが定説です。(細かくは異論もあり)

元々は第二次世界戦での軍事目的で、終戦後初のテーマが「気象予測」でした。過去投稿でも触れたので載せておきます。

手段はリチャードソン(夫妻)に倣い、地球を格子状に分割し、その時間的変化をナビエ・ストークス方程式で計算するというものです。

ENIACでは、24時間後の天気を予測するために3時間ごとに8ステップの計算を行い、当時の気象予報士と同等の予報を出すことには成功したそうです。

ただし初期のコンピュータは、その計算ルールを完ぺきに埋め込む(コーディング)必要があり、依然として負荷が高いものでした。
たった1日後の予測でそれと同等の時間を費やさなくてはならず、まだ実用性には程遠いものです。

次回は、短期だけでなく長期的な気象予測への挑戦について触れてみたいと思います。

<参考リソース>


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