パロアルトの栄光とデバイスの行方
以前に、AppleのMR機器Vision Pro発表を受けて、空間コンピューティング(我々の物理世界と仮想世界をつなぐ技術の総称)の簡単な歴史について書きました。
ようは、
近年話題の空間コンピューティングは、パーソナルコンピュータの歴史ともつながってるよ、
ということなのですが、その歴史で重要な役割をになったパロアルト研究所がXEROXから離れることが正式に決まりました。
スタンフォード大学が運営している非営利団体に寄贈とのことで、元々こことはお付き合いが深かったため、内実としてはそこまで大きくは変わらないのではないかと思います。
改めてですが、この研究所に所属していたアラン・ケイが今のPC原型を考案し、ジョブズたちにも影響を与えて具現化したわけです。
せっかくですので、もう少し細かくその歴史を補足しておきます。下記のサイトとWikiを参考にしました。
アラン・ケイの前にダグラス・エンゲルバートという科学者が伝説のデモを行いました。上記記事内にも張られてますが下記からアクセス可能です。
PCではおなじみのマウス、そしてGUI(Graphical User Inerface)の原型も顔をのぞかせていますね。
ジョブズがアラン・ケイが仕上げたダイナブックというパーソナル向けのコンピュータを見学に来て、1981年にMachintoshを販売した、という話をしました。
一応補足すると、事前にパロアルト側に許可をもらったうえでの見学だったのですが、それでもやはりGUIを搭載したMachintoshは物議をかもしました。
というのも、ジョブズだけでなく、あのビル・ゲイツも同年にパロアルトに見学に来ており、そしてご存じの通り、Machintosh発売に遅れて1990年、GUIを搭載したWindows3.0を販売しました。
そのときに何が起こったかというと、AppleがGUIの「著作権侵害」でMicrosoftに対して訴訟を起こしました。有名な話ですが、念のため関連記事を紹介しておきます。
元祖であるパロアルトは当初GUIを知財化するつもりはなかったようで、Appleの訴訟でさすがに知財の考え方について検討しなおしたそうです。
ただし、ジョブズは1985年ごろにMachintosh販売不振でAppleを追放され、別のコンピュータ会社を立ち上げます。
そしてゲイツ率いるWindowsがGUIを武器に一気にシェアを取ったのは誰もが知る話です。
その後、1997年に改めてジョブズがAppleに復帰して製品・協業戦略を見直すことで復活を果たし、その決定打ともいえるのが2007年のiPhoneです。
こちらの経緯も有名なので、1つだけ紹介しておきます。
パロアルト研究所は、ほかにもイーサネットやレーザプリンタなど今では標準化したオフィス製品をいくつか開発しました。
ただ、製品開発能力は高かったと思いますが、それを市場に投入するのは他社が先駆けてしまいます。このあたりが新技術を市場に展開する難しさです。
今回Appleが発表したvision proは、コントローラーというインタフェースを排し、デバイス本体と物理世界をつなぐ新しい世界像を目指しています。
デバイスの位置づけがより直接的になったものの、やはり市場展開の難しさは変わらないと思います。
果たして歴史は繰り返し、また別の企業が飛び出るのかそれとも競争の在り方が変わるのか(例:OpenSource化の波)、商業的な動きにも注目したいところです。