サトシナカモトのミステリーは永遠に
ビットコインの生みの親は?と聞けば、「サトシナカモト」をまだ覚えている方は多いかもしれません。(タイトル画像は、当人を記念してブダペストに作られた胸像)
ビットコインの歴史をたどると、2008年にサトシナカモトと名乗る方による暗号メーリングリストへの論文投稿が始まりです。
翌年の2009年に、マイニング(通貨発行の意味合い)が行われて正式運用となり、投稿時点においても世界最大の暗号資産流通量を誇ります。
下記のサイトでランキングを見ることが出来ます。
ただ、この「サトシナカモト」という名前は、それまで業界で全く登場したことがないため、仮名(偽名)であることは間違いないと思います。
従って、それまで別の名前で活動していた有識者(個人かグループ)ではないか?という探偵劇が始まりました。
日本風であることから日本人も候補にあがり、abc予想を解いたことでも有名な望月新一教授説もささやかれて、わざわざ本人が否定するという珍事もあったそうです。
他にも、Winny開発者で夭折した金子勇説も、そのプログラマーとしての天才ぶりからサトシナカモトではないか?とささやかれたことがあります。
あくまで娯楽としてですが、個人的に支持しているのは、初めてサトシナカモトからビットコインを受け取った(取引した)ハル・フィニー氏です。
下記の記事を読んでとても説得力があったから、というのが理由です。
私の主観ですが、有力と思った要点を書き下します。
・フィニー氏は元々2004年にPoW(Proof Of Work)の構築に関わっていた
・サトシナカモトによるソフトウェア初公開のわずか数時間後にフィニー氏へ初取引を実行
・後日フィニー氏が公開したサトシナカモトから受け取ったメールヘッダーが削除されていた
・フィニー氏は(Privateでも)暗号が大好きで、他に匿名リメーラーを複数保持していた(Wikiより)
フィニー氏はALSを患っており、2014年に58歳の若さで亡くなっています。そしてその死体はアルコー財団で凍結保存されています。(冷凍保存とアルコー財団については下記記事)
実は当初、プログラマーのドリアン・プレンティス・サトシ・ナカモト氏(!)説が某メディアで生まれたのですが(・・・よく見つけたものです)、文章の不一致などから否定されています。
そしてなんと、この疑われた人の近所に住んでいたのがフィニー氏だったのです。
フィニー氏自身は、上記記事で疑惑のご近所様との関係を否定しています。
個人的な推理として、たまたま近所に住んでいたこの人の名前を知ったフィニー氏が、架空の人物名として使用して自作自演を行ったとすると極めてしっくりきます。
既に故人であり、冷凍保存しているとはいえ、さすがに将来科学技術が進化しても蘇ることはないと思いますので、永遠のミステリーになりそうです。
完全な野次馬根性ですが、それだけビットコインという発明に畏敬の念を抱いている、と言い訳させて頂きながら、勘繰りはここまでにしたいと思います。