繋がりは時に奇跡を呼ぶ [森ネズミのトト 就農奮闘記vol.5]
転職先が決定した2021年の終わり、転職まで少し時間があり、前職の有給消化もしたかったので、奥さんと一緒に旅行へ行きました。
旅行先は長野県軽井沢。
軽井沢に多くの友人がいて、その友人たちに会いたいのと、奥さん(当時はまだ彼女)を紹介するために行きました。
※この記事は私の昔話です。
いまの人間性を構築した大切な思い出であり、就農にも大きく関わる奇跡の話でもあります。
1. 出会い
大学時代、私は農学部生でしたが、農業ではなく林業の勉強を主にする学科にいました。
もともとは野生動植物のことを勉強し、それらを保全できるような人間になりたいと思って入学しました。
軽井沢は、大学2年生の夏期課外実習で訪れたのが初めてです。
軽井沢で活動されている企業「ピッキオ」の取り組みを体験、勉強する実習でした。
そこは人と野生動植物の共存をはかるため、地域の環境や生物のことを研究して伝え、また、ツキノワグマと適切な距離感を保つために日々活動されています。
実習では軽井沢の森をツアーしてもらったり、野生動植物のことを講義してもらったりしました。
ピッキオがされている内容は私が目指したい姿に近く、何よりもそこで働いている人々の雰囲気や動植物への考え方にとても好感が持てました。
懇親会の場でスタッフさんと仲良くなり、野生動物に関するイベントなどに参加できるように個人的にスタッフさんと連絡交換をしました。
それからインターンシップに申し込んだり、ロードキル(道路で轢かれてしまった)動物の調査のイベントに参加したりと、年に1回は軽井沢を訪れるようになりました。
通っているとスタッフさんとは仲良くなり、また通うごとにその和は広がっていきました。
とても自然豊かで、大好きな友人たちがいる軽井沢は私のパワースポットになりました。
2. 考え方の変遷
少し話はそれますが、啓発本やいろいろなインタビューなどで目に耳にすると思いますが、目標は口にすると実現しやすいということがあります。
尊敬する友人も実体験でそれを言っていて、口にすることで直接的に目標が叶うというよりか、間接的に助けとなるような話が舞い込んでくるようです。
人付き合いにおいてその人が何を考え、何をしたいかなんて言ってくれないと分かりません。
ましてや付き合いの浅い人や初めて会う人などは尚更です。
口にすることで、相手は自分の目標を知ってくれます。相手を理解することそれだけでも十分ですが、もしかしたらそれに役立つことを提案してくれたり、こちらの目標が相手の困りごとの解決に繋がることがあるかもしれません。
また、口に出した言葉を自分が聞くことも大切だと思います。
言葉が暗示になり、自分の未来はそうなると錯覚するんだと思います。
そのように考え、30歳をすぎた頃くらいから自分の実現したい目標は意識的に口にするようにしました。
以前まではそんなこと言ってもしょうがないと考えていましたが、友人の実体験などを聞いて、まずは行動を変えてみようしました。
また、35歳くらいの頃、人に頼ることにためらわないとも決めました。
それまでは人に頼るというのは何かよくないように考えていました。
人に迷惑をかけてしまうという考えが多いと思いますし、私も迷惑をかけないような生き方をしてきました。
しかし、心屋仁之助さんのポッドキャストを聞いてから、人を思いっきり頼って、人に思いっきり頼られようと決めました。
きっと人を頼ろうと頼らなかろうと、迷惑に感じる人はいます。
それだったら、助けて欲しいときにはしっかりと頼って、頼られたときにはしっかり助けようとしようと考えました。
3. 人はそれを奇跡と呼ぶ
話は奥さんとの旅行に戻ります。
一緒に訪れた軽井沢はとても楽しかったです。
1月に訪れたので、徳島在住の二人にとっては慣れない氷点下の世界でした。
白糸の滝や湖上スケートなど、軽井沢ならではの観光をし、
温泉に入ったり、よなよなエールを飲んだりと贅沢な時間を過ごしました。
年始の忙しいときにも関わらず、軽井沢の友人たちがたくさん集まってくれ、とても楽しい時間を過ごせました。
サプライズでケーキまで用意してくれる、素晴らしすぎる人たちです。
昔話や近況の話で盛り上がりました。
友人たちの元気そうな姿やお子さんの成長など見て、時間が経ったんだなーと感じました。
私は奥さんを紹介し、自分の目標を口にしました。
「徳島で農家として独立します!」
でも、技術なし・土地なし・機械なし・金なしのスタート。
これから会社で農業技術を学びながら、土地や機械などを探していく予定だと話しました。
そんな中一人の方がこんなことを言いました。
「私の里は徳島で、昔は年に1回くらい徳島に行っていた。いまは大好きな叔母と叔父とその家族がいる。そういえば、おじいちゃんが亡くなって畑や田んぼの管理に困っているらしい。」
え、里が徳島だったとは初耳。
でも徳島県もそこそこの面積があり、エリアが違うとなかなか距離があります。
「私の叔母はX町というところに住んでいるんだけど、分かるかな?」
え、分かるも何も、そこは奥さんが働いている町。
住む場所からも車で15分くらいで行ける場所。
まさかの近場。
こんな偶然ある?
とても興味があることを伝え、叔母さんに連絡を取ってもらうようにお願いしました。
でも、もしかしたらすでに他の人に貸したりしていて困っていないかもしれないし、私には貸せないという話になるかもしれない。
あまり期待せずに、ご縁があるかは流れに任せよう。
そんな簡単な気持ちでその時は終えました。
徳島に帰ったら早速友人から連絡がありました。
「叔母に連絡したら、持て余している土地が多く、面倒みてもらえるのならばありがたいと言っていた。近いうちに連絡してみて」
とのことでした。
これはありがたい!と、連絡をもらった翌日に早速電話をして挨拶しに行く日を決めました。
お家にお伺いすると、優しそうなご夫婦がいらっしゃいました。
お家も綺麗に整理整頓されていて、品の良さを感じます。
詳しく話を聞いていくと、お父さんが農業をやっていたが他界され、子供のなかで徳島に残っている叔母さんが土地を相続することになってしまったそう。
ただ、ご夫婦もそのお子さんも農業とは関係のない仕事で、これからも取り組む気はなかったようだったので、広い土地を相続してもその扱いに困っていたようです。
親族や知人に頼み込んで稲作をやってもらっている場所もあるが、それでもまだ余っている土地がある。
残っている土地を今後どうしようか考えると、眠れない日々を送っていたそうです。
そこで、私の目標(徳島県内で農家になる)を伝え、畑をお貸しいただけないかお願いをしました。
するとご快諾いただき、少しでも土地の面倒を見て頂けたら本当に助かると喜んでさえしてくれました。
そうして、思いもよらない繋がりから理想的な場所で畑を借りられるという奇跡が起きました。
持て余している土地が数ヶ所あるそうでしたが、まずは1箇所 10aにて野菜づくりを始めることとなりました。
前述した私の人間関係、そして「目標を口にする」「人に頼る」というマインドの変換が功を奏し、この奇跡へと繋がりました。
農業法人での研修が始まるのとほぼ同じ時期に畑をお借りでき、仕事で学んだことを自分で実践できるというこの上ない環境を手にできました。
この場を借りて、ご親戚を紹介してくださった友人、アドバイスをくれていた友人、気持ちを楽にしてくれた心屋仁之助さん、畑を貸してくださった地主さん
に感謝を申し上げます。
本当にありがとうございます。