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叱ると注意するの違いとは?-叱る(7)-
先日、研修で叱るについて話した。僕は、怒るも叱るもNGと話しているが、その際に叱ると注意するの違いがわからないという質問を受けた。
叱るも注意するも同じものに見えて、違いがわからなくなっていることが、現代の問題なのだと思う。
「叱るはオッケー」における叱るは、意味を誤って理解していて、注意することを指していることが多い。仕事なのだから、注意するのはオッケーだ。ただ、本来の叱るは「責める、咎める」という辞書的な意味そのもののものだから、よほどのことがない限りNGである。
ハラスメントの話と共通するが、叱られた、注意されたと受け手の問題になると、そこは「捉え方」の話になってくる。捉え方の話はいつでもグレーゾーンの問題がつきまとう。
叱ると注意するの違いの1つは、叱られると怒られると同様に、行為と感情の切り分けである。両者は全く別のものであり、比較するには軸が違うと思うことがあるが、怒気があれば、叱られるが怒られると捉えられてしまう。叱ると怒るは併存するように思えてきた。叱るは責めたり咎める行為、怒るは起こる、すなわちうちから沸き起こる感情なのだから。
注意する際に怒気があれば、それは怒られているになるだろう。では、注意される際に何があれば叱られているという気持ちになるのかというと、文字通り責任を問われたり、咎められたときだ。
叱るは意味が広くなりすぎているんだと思う。
少し話題を変える。
注意には色々な意味があるが、文字からすると意識を注ぐということだから、何かを伝達して相手がそこを見るように促すと、その結果、相手が注意するようになることを指している。
仕事でいえば、基準はこうだから、逸脱しないようにしてねとか、こんな結果になって基準を逸脱したねといった結果、相手が注意するようになる。これを注意と呼ぶことがある。注意とは本人がするものであり、他者が誰かを注意するというのは慣用的な言い回しなのだ。
さらに、注意にはネガティブな意味はなく、今回うまくいったから次はこの点を頑張ろうということもできる。単に意識を注ぐこと以上でも以下でもない。あくまでも意識を注ぐのは本人であり、誰かが不注意を注意するのではないのである。
そこに、責任を問えば叱るになり、怒気をはらめば怒るになるわけだ。
つまり、怒るも叱るもだめだという主張は、怒気をはらむな、咎める意思をいれるな、単に事実だけを通知せよということなのである。
ただし、もちろん受け手側が怒る、叱る、注意する、確認する、話しかけるといったあらゆる働きかけの違いを区別できない語彙力しかなければ、すべての働きかけは「怒られた」とか「ハラスメントをうけた」になるので、言葉を教えることも大切である。
叱るについてはこちらのマガジンにまとめている。