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奈良旅行記(3)相撲の起源に迫る

これは、時系列でいうと、以下のキトラ古墳から奈良に戻る帰路の話である。



どこで相撲神社を知ったか

前日、桜井の観光案内所でもらったチラシに、相撲神社という単語があった。つまり、現地に来るまで知らなかった場所だ。

さほど関心があるわけでもなかったが、169号線を往復する中で相撲神社の看板を繰り返し見てじわじわと興味が湧いてきた。

そうだ。そういえば、大相撲の不思議という本を借りて読んでいたのだった。そういえば、直前にいったキトラ古墳も陰陽道だし、相撲も陰陽道が多く取り入れられているのでつながりがある。

相撲の語源

まずは、相撲ってなんだったっけというところから。

相撲の語源は「すまふ(住まう)」とも「素舞ふ」とも言われているが、当時は勝者が敗者の土地に住まう権利を得る命を賭した戦いだった。

住まふは争いの原因なので、すまふは争うという意味もあるようだ。

ちなみにすもうは角力とも書く。角を訓読みすると「角べる(くらべる)」。角力とは力比べの意味なのだ。

相撲の元祖

相撲は、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)が勝負したのが起源と言われている。

野見宿禰は、時の垂仁天皇に出雲から呼び寄せられて、天覧角力で、人垣に囲まれた戦いにおいて、当麻蹶速の腰を踏み折ってルール無用のK-1スタイルで勝利し、その土地に住まうこととなる。

ちなみに、腰折田という地名が、当麻寺の側にあり、戦いの舞台は相撲神社と同じ場所ではなさそうだ。

後日、「蚤の王」という漫画を読んで理解を深めた。

野見氏と当麻氏

野見宿禰はその後、古墳に殉死者を入れるのではなく、埴輪を作ることを提案し、焼き物の埴輪を作る仕事を任ぜられ、土師氏となる。

古墳の衰退とともに土師の仕事がなくなり、菅原姓を賜り、それが菅原道真につながっていくのは有名な話だ。

当麻氏は當麻、当麻寺などにその痕跡をみることができる。

写真で見る相撲神社

ということで、169号線を奈良に向かう途中を右折し、相撲神社に向かった。

駐車場などのない神社なので、車を道に停めて、参拝する。途中で山野辺の道を横切り、近くに桧原神社などがあることを知ったり、景行天皇の古墳があったりとなかなか見どころの多そうなエリアだった。なにより景色が素晴らしい。

穴師とは職種かと思ったら地名だそうだ

もちろん、これに顔をはめて写真を撮ったのは言うまでもない。このところ一人旅が多かったので連れがいるのはありがたい。

祭神は野見宿禰

奥にはブルーシートがあるが、土俵を覆っているように感じられた。以前諏訪に行った際に雷電為右衛門のゆかりの場所がそうなっていたから勘が働いたのだ。現に大相撲では桜井場所というのがあったらしい。

カタヤケシは初めて聞いたが木の名前?なぜカタカナなのかなど、意味深な名称

本記事のトップ画像がこの神社の唯一の拝殿だ。とても小さい。逆にその小ささが印象的だった。

さらに奥には鳥居があった。夕暮れだったこともあり、その先まで車で行けるものか分からず断念したのだが、後から調べたところ、この少し奥に大兵主神社というところもあるらしく、行きそこねたのでリベンジしたい。

相撲の宗教性

最後に、相撲は宗教的な儀式であり、反閇(へんばい)という陰陽道だか道教だかの動作が四股のルーツになった。四股は、悪いものを踏みつけるという宗教儀礼で悪いものとは「醜(しこ)」であったという。しこを踏む。元々は目的物だったものが活動そのものに転じたのだろう。

以前、奥多摩の御嶽神社に向かう参道に階段があり、そこには鬼が書かれていた。説明によると、鬼を踏みつけることに意味が設定されていた。

そう考えると、相撲って何を象徴したものなんだろう。考えさせられてしまった。

たまたま、立ち寄っただけの場所だったが豊かな時間を過ごせた。近隣にも楽しそうな場所がありそうなので再訪したい。

次回はこちら。


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