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キャリアという呪い-なぜキャリアデザイン研修が減っているか-
このところ、キャリアデザイン関係の研修相談はめっきり減った。僕は研修の相談が来ても原因分析の結果、違うものを提供することが多いので、実施が減ったのではなく、あくまでも相談が減ったという意味だ。(n=1の話なので、世の中的にどうかは誰か調べてほしい。)
代わりに増えたのは何かというと、少し前はレジリエンス、最近だとエンゲージメントやらである。
エンゲージメントについては、以下。
とはいえ、キャリアデザインやキャリアに関する仕事がなくなったかというとそうではない。提供者側の飽和によって、わざわざ外部委託しなくてもよくなったところもあるだろう。
ただ、このところ、「従業員のキャリア形成」って実はお題目だったことがわかってきたのではないか。つまり会社が本当の意味で取り組む必然性がなかったものなのではないかという思いが去来する。
「会社は従業員のキャリアを支援しています」というと嫌だと感じる人がいない。みんながそれを言い始めると言い出さねば遅れてしまうという同調圧力がかかる。こうして、キャリアは魂なきままに普及したのではないか。こうした流れはいつの時代にもある。
キャリアの定義などについては少し前に書いたので、以下を見てほしい。
キャリアの棚卸しそのものに企業の実益は薄いし、キャリアゴールは従業員に固定化された未来を与える呪いになってしまっている。
こうありたいと願うことと、それに道筋をつけることは大切なことなのは言うまでもないが、若年から固定化された理想像があるというのは呪いでしかない。もし、そこに到達しなければ、本当はこうありたいのに、やりたいけどできない。こうしたギャップが「人生の心理的安全性を下げる」のである。
あなたはできる子よ、この星のもとに生まれた、あなたのおじいさんは医者で、あなたはアスリートになってほしい、こういう才能がある。こうしたものはすべて呪いだ。達成できなかったものを一生縛ってしまう。
僕は性格診断や占いの類も全部呪いだと思っていて、性格診断と合わせて、易学や占いまでやっているド決まりした教え手がいたら支配欲求の塊の呪術師くらいに思っている(そんな人は見たことがないが)。
占い師は不安を煽り、ゴニョゴニョゴニョゴニョ。不安解消方も与えないと、専属占い師を必要とするようになってしまう。なので、それを許容できる成熟がない相手に安易にやってはならないとすら思っている。
もちろん、こうした呪いと現状に対して適切な支援を受けられれば話は変わる。ただ、1on1すら、フィードバックというテーマすら今がなおホットという状態では、期待薄である。外部カウンセラーの中の優秀な一部を拠り所とせざるを得ない。
この分野の権威であるシャイン先生も、キャリアアンカーは職業経験を重ねないと分からないといっているのである。
キャリアゴールを単なる達未達で見る視点は、呪いを受ける思考であり、そこから抜け出られない限り、一生を縛られかねない。キャリアとは適者生存であり、裏返せば不適者不生存の世界なのである。全く優しくない。
大切なのは、キャリアゴールが陳腐化したり、達成したり、変更せざるを得なくなったときに、柔軟に変更できる適応性である。僕は、前職の際に「キャリアオプション」として在野のキャリアデザイナーに教わって理解していたものが、このところ今頃になって「キャリアアダプタビリティ」として喧伝されつつある。
まとめると、未来のことを、意識しなくてもよいものに対して、無理に考えさせるだけでフォローをしないのは呪いなのだ。みんなやっとく方がいいから、動画見せとけばよくない?という発想では厳しい。異なる結果になったときにオプションの設計方法まで合わせなければ完成しないということだ。
続けよう。
キャリアデザインは、こうしたことがわかってきたために「めんどくさいもの」「金がかかるもの」になってしまった。「キャリア、はじめました」「SDGs、はじめました」と宣伝だけしておけば良かったものに、実はとんでもないメンテナンスコストと、呪いが直撃した人たちが辞めてしまうというようなことが起こり始めた。恐ろしいことにキャリアは誰でも語れてしまうから、飲み屋で友人が煽るようになるともう歯止めがきかない。
要するに、未来のことまで扱うから、逆算とかややこしいことになるのだ。目標決めときゃ走るんじゃない的な発想はだめだった。これは、企業の目標設定とも同じことで、それがあるために荒むのだ。
で、あれば「今、ここ」に目を向ければどうか。そうした語られない文脈で出てきたのが、レジリエンスやジョブ・クラフティングのような「今、ここ」を扱う技法なのである。(かつてのモチベーションがキャリアに化けて、また言葉を変えて戻ったようにも見える)
続きは、ここまで書けば誰もが分かるだろうから、書かないことにする。
つながる話は以下。
レジリエンスについては以下
今回は、研修会場に向かう道中の25分で書いた。未校正なので、少し変わるかも。