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「生成AIチェッカー」なるものを使う理由が理解できない

生成AIの進化は目覚ましく、私たちの仕事にも大きな影響を与えています。

しかし、生成AIの登場とともに、AIと人間が書いた文章を区別しようとする動きも加速しています。その動きの中で生成AIチェッカーなるものが開発され、またそうしたツールを実務に導入しようとしている人たちがいるようです。その目的とは、人間の手による文章とAIによるそれを機械によって容易に識別しようというもののようです。

しかし、この技術の必要性や有用性について、果たして本当に納得のいく説明がありえるのでしょうか?こんなツールが本当に必要なのでしょうか?

生成AIチェッカーなるものの有り様を深く掘り下げ、その存在意義について一緒に考えてみませんか?


生成AIチェッカーとは

本記事は、以下の記事の存在を知ったことで執筆に至りました。

ここに生成AIチェッカーの定義や現状がコンパクトにまとめられています。チェッカー? 何じゃらほい? という方は、まずはお読みになって下さい。


生成AIチェッカーの欺瞞:その存在と推進を糾弾する

このように生成AIチェッカーの開発と普及が叫ばれる昨今、その存在意義と推進の是非について、改めて深く考察する必要があります。

生成AIチェッカーの必要性と機能の不一致

生成AIチェッカーの利用が推奨される理由として、生成AIによって作成された文章と人間が作成した文章を区別する必要があるという主張が挙げられています。

前掲の記事には、チェッカーが指摘すべき項目というものがいくつか具体的に掲げられています。

そのどれもが、AI製であろうとなかろうと全ての文章に当てはまめるべき普遍的なチェックポイントばかりなのです。AI固有の問題への言及はありません。

なのに、本文では続けてAIを如何に判別すべきかという話を続けています。チェッカーの必要性の訴えと、続けてこの記事が強調するチェッカーの機能説明。両者がまるで整合していないではありませんか。まるで木に竹を接いだような、ちぐはぐで無理やりな論理展開と言わざるを得ません。

そもそも、こうしたチェッカーが求められる背景を考えれば、人間の文章と見分けがつかないほどの高品質な生成AI文章の存在を裏付けているとも解釈できます。であれば、AIによる文章をそのまま採用して何が悪いのでしょうか。わざわざ機械に区別させて折角の高品質なテキストを無駄に捨て去るのではなく、積極的に活用すべきではないでしょうか。

第三者による客観的な判断の幻想

生成AIチェッカーの利用が正当化されるもう一つの理由として、第三者による客観的な判断が必要という主張があります。しかし、その第三者が本当に客観的な判断を下せるかどうかは疑問です。

特に注目すべき話題があります。チェッカーが誤判定を頻発し、ノンネイティブの文章をAI製と誤認するケースが報告されているというのです。


そのような現状では、第三者の判断の信頼性はますます低下しています。


生成AIチェッカーがもたらす不当な差別

前掲の論点は、世界を相手に戦わなければならない日本人の一人としても見逃すことはできません。

生成AIチェッカーの普及は、ノンネイティブの執筆者に対して不当な差別をもたらす可能性があります。母国語ではない言語で論文や報告書を作成する人々は、AIとの区別がつきにくいという理由で、正当な評価を得られないかもしれません。これは、言語の壁を越えて知識や情報を共有しようとする人々にとって、大きな障壁となります。

生成AIの発展を阻害する存在

生成AIが人間に近づき、区別が困難になるほどに進化することは、技術の進歩として歓迎すべきです。生成AIチェッカーの開発と普及は、生成AIの発展を阻害する可能性があります。

結論

生成AIチェッカーは、その存在意義が不明確であり、誤った判断を招き、不当な差別を生み出し、AIの発展を阻害する可能性があります。したがって、生成AIチェッカーの開発と普及を推進する動きは、強く批判されるべきです。

生成AIチェッカーに頼るのではなく、個々の文章の質を客観的に評価し、多様な視点から議論を深めることが重要でしょう。

おわりに

ここまで読んでも、まだ「生成AIチェック」は必要だと主張されますか?

では、最後にもう一度だけ、その目的を考えてみてください。

こういう事例を考えましょう。ある人に依頼して作成してもらった文書があり、貴方の目には完成度が認められるとします。ただし生成AIツールはそれを「AIで作り出された文章」だと言っている。

あなたは快く報酬を払うことは出来ませんか? 繰り返しますが品質は充分なのですよ? にも関わらずお金を払えないとしたら、貴方は一体何にお金を払おうとしていたのでしょうか? 成果ではなく、人間の努力に対して……ということになります。それってビジネスとしては正しいんでしょうかね。


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