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自己紹介〜about me〜
みなさん、初めまして。
Kojiと申します。
アウトプットの必要性、重要性を学び、私の経験や考え方、生き方などをnoteを通じて徒然なるままに綴っていこうと思います。
神奈川県横浜市出身の30歳、男性。
経歴は某大学体育を卒業し、第一種中高保健体育教員免許を取得。
卒業後は青年海外協力隊(現JICA海外協力隊)の体育隊員として、中東のヨルダンに派遣、活動言語はアラビア語。
帰国後は英語力を上げるためにセブ島へ短期語学留学。
インターナショナルベースボールチーム(少年野球)でコーチ業。コロナ禍で活動が激減。
2020ドバイ国際博覧会日本館アテンダント。
地域おこし協力隊。
上記のように様々な経験をしてきました。
小さい頃から他と一緒が嫌で、「みんながそれを選ぶなら自分はこっち」のように他人と違うことをしてきた結果、誰とも被らない経歴を作り出せてきたのだと思います。たまたま運が良かっただけですね。
幼少期は水泳と野球をやっていました。
水泳は幼稚園年中から小学5年生までやって、途中から選手コースという強化コースに入り練習がしんどくなったので辞めました。勝つために追い込むこと、楽しくないことには興味がなかったのかもしれません。また、どちらかというと野球の方が好きだったみたいです。水泳は水の中で呼吸ができないので○ぬ思いをしながら強くならなきゃいけないと変な思い込みをしていたのを覚えています。野球に関して言えば、夕焼けの太陽にボールが重なり2〜3回は目にボールが当たりましたが、それは○ぬほどでもないと思ったのでしょう。
小学生の頃の武勇伝といえば、長距離を走るのが速く、小学校3年生の頃には2つ上の兄より速かったです。少年野球チームでも3つ上の小学6年生について行くくらい速かったので、4年生になった時にはチームで一番速かったです。箱根駅伝を目指してほしいとチームのコーチや保護者から言われましたが、私は野球がしたいのに…とあまり嬉しくはなかったです。
右眼が弱視の影響で視力が左右でだいぶ差があり(左眼2.0、右眼0.5~6)、そのせいにされてボールが打てないと言われた時は、幼いながらもそうではなくて原因は別にあると感じていました。タイミングの取り方やスイングの軌道がいつもと違うという感覚があったので、そこをどうにかしたいと悶々としていました。
また、弱視の影響なのか目が疲れやすく頭痛を起こすことがしばしばありました。
中学生の頃、野球肘(右肘離断性骨軟骨炎)で右肘を手術し、同時に肋軟骨を移植するために胸にもメスの跡があります。
これで痛みなく満足に野球ができると思っていましたが、予想通りにはいかず、苦しむ時期が長かったです。
それでも野球ができる喜びや手術を受けさせてくれた両親には感謝の気持ちがあったので、辛さの反面幸せも噛み締めていました。
そのおかげもあって、大人になった今でも野球が大好きで、その探究心や楽しむ少年のような心は変わらず持ち続けています。
現在は、けん玉にハマっており、たくさんの技を練習、取得中です。
元々興味はあったものの、強い思い入れはありませんでしたが、最終的なきっかけは、ドバイ万博で知り合ったモナコ人の友達です。
彼が、KROM FRANCEとスポンサー契約をしており、動画でしか見たことがないトリックを次々と決めており、魅了されました。
日本に帰国したらけん玉を買って練習しようとその時に決意しました。
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英語力の向上も日々取り組んでいます。
TOEICを定期的に受けており、735点が自己ベストです。
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このように、スポーツや国際協力、語学(英語、アラビア語)、けん玉と私の趣味であり、仕事であり、生活の一部をnoteに綴っていこうと思います。
文字数や公開数に縛られることなく、思いのままに、徒然なるままに。