アメとムチ【#39何があってもマイペンライ!】
昨日、ライティングゼミの友人が読書やnote投稿などをどうすれば続けられるだろうか?とツイートしていた。
その投稿にはたくさんのいいねやリプがついていた。自身の課題をシンプルに書いただけなのだろうが「やりたいことをどうすれば続けられるか」は多くの人が持っている悩みだ。いい問いには自然と関心が集まる。
さて、継続は私の課題でもあるので、ちょっと考えてみたい。キーワードは「アメとムチ」。物事を長期的に続けていくためには、厳しさとゆるさが両方必要だと思う。
まずはムチ。読書にしてもダイエットにしても英会話にしても、続かないのは厳しさが足りないからだ。「時間があったら読書しよう」「気が向いたらランニングしよう」という心持ちでは続かない、というのは多くの人が実体験から理解していると思う。
では「絶対に毎日読書する」「雨の日も風の日もランニングをする」と強く誓えばいいのだろうか。これでもほとんどの人は無理だろう。私たちは知っている。意思の力はそう強くない。
大切なのは、気合いに頼るのではなく、ムチとなる仕組みをつくること。ある種の「強制力」とも言える。私はライティングゼミのメンバーに「いずれエッセイを仕事にしたいので、毎日エッセイを書きます」と宣言している。エッセイはTwitterに毎日投稿しているので、サボると私のフォロワーのみなさんにもバレてしまう。
一方的に宣言したものなので、エッセイを投稿しなくても困る人や文句を言う人はいないだろう。しかし、実態はどうでもよくて、重要なのは自分がどう捉えるか。多くの人に毎日投稿を宣言した以上、やらないのは気持ちが悪い。
エッセイの投稿が理由なしに途絶えれば、私は自分で言ったことをできない人間ということになる。誰から求められたわけでもなく、100%自らの意思で決めたことさえできない、恥ずかしい人間だ。そんな人間にはなりたくない。
マイナスの評価を受けたくない、自分のことをマイナス評価したくない。自然発生的にその思いが生まれる仕組みになっているため、書き続けることができる。今日で39日連続投稿になるから、強制力としては一定の効果はあるのだろう。やはり宣言の力は大きい。
ただ、ムチだけでは長期的な継続は難しい。真面目な人、完璧主義者ほど脱落しやすいと思う。毎週ジムに行っていたのに、急用や体調不良などで1回行けなくなると、そのまま1ヶ月全く行かなかったりする経験は誰しもあるだろう。一度のミスで「決めたことをできない自分はダメ人間だ」と自己肯定感を下げてしまうパターンもある。
そこで、重要になるのがアメだ。ピンチのときこそ、自分にアメを与えよう。
実はこの文章自体、自分へのアメになっています。このエッセイの連載は毎朝7時投稿と決めているのだけれど、今日は朝起きたら8時だった。まだ文章は書いていなかった。やらかした。
ここで「連続更新は38日で終わってしまいました」と結論づける選択もあるだろうが、私はアメを投入した。7時に投稿できなくても、今日中に書けば連続投稿は成立している。そう考えることにした。
それっぽく書いてきたが、これは投稿が遅れてしまったことを正当化するための文章です。すみません。
でもそれでいいと思っている。アメばかりではいけないが、ムチだけでもいけない。時と場合によって、アメとムチを適切に使い分けることが、継続するコツではないだろうか。
※この記事は2024年4月20日にTwitterにて公開したものです。
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