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自責思考で人生を明るく

「自責思考」という考え方がある。「自責思考を持て」「あの人は自責思考の人だね」というように、耳にすることがある。ただ人によって「自責思考」の言葉の解釈や運用の仕方が違うように思う。

かくいう僕も自称「自責思考」の人間である。ということで今日は、コージー流自責思考を紹介したい。

僕にとって「自責思考」とは、物事の責任の所在を自分に置く考え方のこと。ただし、全てを自分の責任にするわけではない。あらゆる物事に対して、責任の所在が自分にあるか自分以外にあるかを明確にする。その上で自分の責任となる物事に集中するという考え方だ。

たとえば、雨の日に傘を忘れてびしょ濡れになったとする。雨が降ったことは、僕の責任ではない。だから雨が降ることに対してはぐちゃぐちゃ言わない。

傘を忘れたのは、僕の責任だ。では、なぜ傘を持っていかなかったのか。天気予報で「雨は降らない」と言っていたからだ。その天気予報を信じて傘を持っていかない判断をしたのは僕であるから、やはり傘を忘れたのは僕の責任だ。

雨は降ることがある。天気予報は外れることがある。これは僕がコントロールできることではない。僕が自分の責任で考えるべきなのは、第一に、傘を持っていくかどうか。第二に、雨が降ることをどう捉えるか。

天気予報に関係なく、毎日折り畳み傘を持っていけば、突然の雨にも困らない。「雨が降った時にびしょ濡れになる」という問題は解決する。

ただし、問題の本質が違う場合もありうる。びしょ濡れになることが問題なのではなく「びしょ濡れになって気分が萎える」ことが問題の可能性もある。その場合、雨が降ると気分が上がるような仕掛けをしてみたらいい。たとえば、雨の日は高級スイーツを買う「ご褒美デー」にするとか。こうすれば「雨が降った時にテンションが下がる」という問題は解決する。

コージー流自責思考は、言い換えると「問題解決思考」である。ゴールは、問題解決だ。問題を解決するために、自分の責任の範囲、自分がコントロールできることにフォーカスするのだ。

自責思考だからと、自分を責める人がいるが、僕は1ミリも自分を責めない。なぜなら、自分を責めても問題解決につながらないからだ。むしろ自己肯定感が下がり、行動エネルギーが落ちることにより、問題解決は遠のくだろう。

自責思考とは、自分を責めることではない。「俺が悪いんだ」「自分なんてダメだ」といった暗い思考ではない。

自責思考とは、自分の責任の範囲はどこかを考え、その範囲内でできることにフォーカスすることをいう。「この部分なら自分でコントロールできる。自分の手で問題は解決できる!」という明るい思考。それが自責思考である。

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岡村幸治(コージー)
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