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人間らしさを大切に

下ネタが嫌いだ。

いや、ここは重要な場面だ。正確に伝えなければいけない。下ネタそのものは嫌いではない。下ネタを話す男どもの下品さが嫌いなのだ。

僕はこれまで女性たちと、思いきった下ネタをあまり話したことがない。女性の事情は分からないので、一旦脇に置かせていただく。

問題は男どもである。29年間生きてきた経験からいうと、9割の男は下品に下ネタを話す。

僕は下ネタが嫌いなのではない。下ネタを話す彼らの、脂ぎった額、大きく膨らむ鼻、獲物を探すライオンのような目が、嫌いだ。

こういう男たちが3〜4人集まっていると、30m先からでも下品な話をしているのだと、分かる。

しつこいがもう一度言う。僕は下品な話が嫌いなのではなくて、下品な話し方、いかにも「今、下ネタを話しています」という雰囲気が苦手なのだ。

下品な話をしているのだから、下品な顔して何が悪い。むしろ清々しいだろ。そんな意見もあるだろう。それも分かる。間違っていると糾弾するつもりはない。これは単純に好みの問題だ。

小学生の頃の印象的な思い出の一つに、避難訓練がある。当時は、火災や地震、不審者の侵入など、さまざまな事態を想定した訓練が頻繁に行われていた。

避難完了後、全校生徒に向けて校長先生がよく言っていた言葉がある。

「訓練は本番のように 本番は訓練のように」

小学校の先生の言葉などほとんど覚えていないが、この言葉だけは強く印象に残った。いい言葉だなと小学生ながらに思った記憶がある。

この言葉のすごさはあらゆる場面で応用が効く点だ。

中学生になり陸上部に入ると、僕は校長先生の言葉を「練習は試合のように 試合は練習のように」とアレンジし、自分に言い聞かせた。

高校時代、僕は陸上部の同期から「本番に強い人」とよく言われた。練習では速いのに、試合でその成果を出せない選手もいる。一方で僕は、練習の成果を存分に発揮するタイプだった。「練習は試合のように 試合は練習のように」。この言葉が、ランナーとしての自分を育ててくれた。

現在僕は、ライターという仕事をしている。経営者やアスリートなど、様々な分野のスペシャリストに取材して、原稿を書くことが多い。読者はたいてい一般人だ。

つまり、専門家の話を一般人が理解できるように書くことが、僕の仕事だ。難しい話をかんたんに、分かりやすく。そこにこそ価値がある。だから、ライター業は仕事として成立し、お金をいただけるのだと思う。難しい話を難しく書くのであれば、ライターはいらない。

難しいことを難しく語る。そこに僕は面白みを感じない。難しく専門的な内容だからこそ、どうすれば分かりやすく伝えられるかを必死に考える。これこそが人間らしい営みだと言えないだろうか。

スポーツも同じだ。今は練習、順位はつかない。だから手を抜く。そんなのは動物のやることだ。僕たちは人間だ。順位はつかないかもしれない。誰も見ていないかもしれない。でも、だからこそ全力を出すのではないのか。

試合だから緊張して結果が出ませんでした?ノンノンノン。試合だから緊張する?それは素直すぎるよ。あまりにも動物的だ。試合だけど、いや、だからこそ、こんなのはどうでもいい、誰にも注目されていない練習だと思って臨もうぜ。それが人間じゃろが。

下ネタも同じだ。下品な話なので下品な表情で話しました?なんやねん、それ。ライオンかよ。ゴリラかよ。僕たちは人間だ。トーク内容が下品だからこそ、立ち振る舞いで120%の上品さを出していくべきではないのか。

ここに、人生に通ずる教訓をまとめておく。

難しいことをかんたんに。
試合は練習のように。
訓練は本番のように。
下ネタは上品に。

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岡村幸治(コージー)
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