「はあちゅう」と答えなければ、たぶん書く人にはなれなかった

「どうすれば、“書く”を仕事にできますか?」

こんな相談をよくされます。

「書くといっても具体的になにがしたいんですか?」と聞くと、ライター、コピーライター、記者、翻訳家、放送作家、脚本家、小説家などと答えがかえってきます。書く仕事をしたいという相談の奥には、自己表現がしたい、作品を完成させたいという願いがあります。そして「まあライター(小説家)ぐらいなら自分にもなれるだろう」と思っているわけです。

一緒に仕事をしているカメラマンに「どうして写真なんですか?」と聞いたら、「絵が描けないからです。写真ならシャッターを押すだけだからわたしにもできると思いました」と答えました。一緒だなと思いました。書く仕事がしたいという人、ぼくもそうですけど、たいていは歌がうたえない、演じられない、はやく走れない、けど、なにかを表現したいと思っていました。

そして、自分は本が読めて文字が書けるし、ヤフーで読まれている記事だって下手くそな文章だし、ベストセラーの本もたいしたことはない。自分にだって、書く仕事はできるだろうと勘違いをしてしまいます。でもこれはあながち勘違いではないかもしれません。実際に、できてしまう人はたしかにいます。もちろん下積みは必要です。でもそれもはやければ1年ですみます。幼少からのきびしい、楽器やデッサンなどの反復訓練をすっ飛ばして、クリエイティブな仕事につけるのです。経験者なら面接でポートフォリオを求められますが、未経験でも採用されます。書く仕事は、なにもない怠け者がクリエイティブな仕事につくための唯一の抜け道ではないでしょうか。

わざわざ書くを仕事にしなくても、書きたいという人は、だれが反対しようが、どんな状況下でも書かずにはいられない性質をもっている人たちなのだから、ほっといても書きつづけるといわれます。成功した小説家やエッセイストはみなそうです。でもこれは成功した人たちなのだから、途中であきらめていないのは当たり前です。成功する才能を持っていてもペンをとらなかった人、そもそも興味さえ抱かなかった人、途中であきらめてしまった人だっていると思います。

ぼくはそれほど立派な記者ではありません。上をみればキリはありません。でも下にもぼくでも記者と名乗ってもいいと思えるくらいには人がいます。だけど、ぼくは仕事にしなければ、書きつづけられなかったでしょう。そもそも書くことさえしなかったかもしれません。

ぼくは書きたいと思いながら、新卒ではぜんぜんちがう業界にいきました。出版社は受けませんでした。出版社の社員に相談したことはあります。社員からは「いまのご時世に出版社を志望する学生なんて、幕末に維新側ではなく幕府側につくような間抜けだよ」といわれました。

当時、出版業界は10年も持つかわからないと思われていました。いまもそう思われています。10年後もそう思われているでしょう。ぼくは本と心中する覚悟はありませんでした。あれから10年たちましたが、残っている出版社はまだまだあります。それどころか、うまくビジネスモデルを変え、最高益を達成しているところもあります。

ぼくはぜんぜんちがう業界に入りました。給料もよかったです。仕事もおもしろかったです。でも10年たって、ぼくは書く仕事をするために、編集プロダクションに転職しました。これは偶然です。ほんとうは、同じ業界内でキャリアアップのための転職活動をしていて、いい転職先からいくつも内定をもらいました。ただ転職活動をするうちに、出版社の下請けをする編集プロダクションがあるのを知りました。それまで編集プロダクションというものを知りませんでした。

おもしろそうだなという軽い気持ちで受けただけです。筆記試験と面接試験がありました。応募者によって順番はまちまちのようで、ぼくはさきに面接試験を受け、終わってから筆記試験を受けました。未経験なのもあり、面接はそれほど盛り上がりませんでした。業界研究もしていません。筆記試験は、それ以上に骨の折れるものでした。

<明治天皇の前の天皇は?>
<四書五経を答えよ>
<FRB議長の名前を答え>

などの問題にまじって、<AV女優を3人答えよ>というのがありました。ぼくはAVをたしなんではいますが、お気に入りの女優はいません。AV女優の名前はほとんど知りません。そして一般教養の問題集にもAV女優の問題は載っていませんし、これまでどの会社の筆記試験でもAV女優の名をきかれることはありませんでした。

ぼくはこの問題は、すごく重要かもしれないと考えるようになりました。どんな奇問難問に答えられたとしても、AV女優の名を3人もいえないやつとは一緒に仕事したくないと思われるかもしれません。たいくつなやつと思われるかもしれないとも思いました。

医師国家試験では禁忌肢といって、合計点数に関係なく、いくつか選ぶと不合格になる選択肢があります。医者なら絶対にしてはいけないことを選ぶようなら、こわくて医者にさせられないという理由からです。

ぼくは<AV女優を3人答えよ>は、これに近いもので、書けなければ即不合格という気がしていきました。そうじゃなければ、わざわざ聞いたりしません。しかも3人の自由回答です。知識量の多さではなく、組み合わせによるセンスのよさを見抜こうとしているわけです。そして面接官への配慮や仲間意識を生み出せる類の問いでもあります。共感力が試されています。その人の本質を見抜くためには性癖を知るのがいちばんなのかもしれません。

一人目は「蒼井そら」と書きました。これはすぐに書けました。二人目はかなり考え、及川奈央を思い出せました。この二人はすでに引退していました。AV女優の名を口にするだけで、なんだか誇らしくなった青春時代の名残りでしかありません。

三人目は、バランスをとるためにも現役の女優にしなければなりません。でもいくら考えてもぼくは思いつきません。筆記試験がおわる直前、なぜか「はあちゅう」と書きました。かすかに、ぼくははあちゅうは違うのではないかという気もしたのですが、ほかに思い出せなかったので、空欄よりかはいいだろうと書きました。

試験が終わるとぼくはあれほど悩んだAV女優問題は頭からきれいさっぱり消えていました。そもそも編集プロダクションに転職する気もありませんでした。いまさら未経験の業界は怖かったですし、給料もいまの半分以下になります。

それなのに編集プロダクションから内定の連絡をもらったとき、ぼくはこのチャンスを生かさなければ、もう二度と書くを仕事にできないかもしれないと思いました。同時に、書くぐらいは、ぼくにだってできると思いました。編集プロダクションの社長は、ぼくの隠れていた文才を見出してくれたとも思いました。なんの経験もないのに採用してもらったからです。面接も筆記もうまくいっていないので、ぼくが評価されたのは事前に提出した課題作文だろうと思っていました。

編集プロダクションに転職してみると、誰でも書けるはずなのに、こんなにも「書く」のはむずかしいのか発見の連続でした。仕事にしなければ、わからないことばかりでした。もっとも大きな発見は、ぼくは書いたものがおもしろくないのは、「書いたぼく」がおもしろくないだけで、「読むぼく」がおもしろくすればいいだけと知ったときです。文章は、ただ書いたらおわりではありません。書きおわってからのほうが、完成までずっと長い時間がかかります。それさえぼくは知りませんでした。

推敲という言葉は知っていました。でもそれは誤字脱字を直し、表記のゆれを統一するぐらいだと思っていました。すこしぐらい書き直すのも知っていました。でも実際はすこしぐらいではありませんでした。ぜんぶ書き直すことだってザラにあります。そして「読むぼく」が信頼できる読者ならば、書き直せば書き直すだけ、おもしろくなります。「書いたぼく」の文章がちっともおもしろくないからと絶望するのは、はやすぎたのです。

個人的な話をすれば、書くを仕事にしなければ、そんなことにも気がつけず、誤解したまま、書かない人生をおくっていたことでしょう。

「どうすれば、“書く”を仕事にできますか?」

その答えは、「とりあえず書く仕事につくこと」です。別に禅問答をしているわけではありません。書く仕事は、一文字も書いていなくてもつけるのです。

「自分でもライターぐらいなれる」と思えたことを大切にしてください。「これぐらい自分でもできる」と思えるのは、すばらしいことです。そして、それだけが書く仕事へ挑戦する資格です。

あるとき、社長に「どうしてぼくをとってくれたのですか?」と聞きました。働きはじめて、数か月たっていました。いつまでも期待に沿えずに申し訳なく、ぼくのどこに光るものを感じてくれたのか教えてもらいたくなったのです。

そのとき社長は、思い出したように「そうだ! はあちゅうはAV女優じゃないからな」といいました。社長は、ぼくの回答にツッコみたかっただけでした。それがいいたかったために、ぼくに内定を出したのです。応募者はみな面接も筆記試験も似たようなものだったようです。それならすこしでも印象に残っている人をとろうということで、ぼくが採用されました。でもそんなことは、ぼくが出社するまでの数週間の間で社長も忘れていました。

はあちゅうと書いたのは、たまたまです。でもはあちゅうと書かなければ、ぼくは書きつづけていなかったのはたしかです。またいつか思い出したように、書きはじめることはあったかもしれませんが、これまでとおなじように、途中でペンを投げていたでしょう。ぼくは書くためには、書くを仕事にしなければなりませんでした。

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