朝に記事を書いただけで褒められた話

雑誌記者といえば、いつも締め切りに追われ、深夜のオフィスでカタカタとパソコンに向かい記事を執筆しているイメージがあります。映画やドラマでは、ややデフォルメされていますが、おおむねその通りです。しかし夜遅くとも朝も遅いので、実際にはそれほど長時間労働ではありません。ですから夜型の生活が苦ではない人にとっては、理想的なワークスタイルかもしれません。

最初、編集部に配属されたときは驚きました。研修のため午前中に編集部にいったら、誰一人いないのです。数十人の席がからっぽです。それでも席を見るだけでおもしろかったです。壊れかけのジェンガみたいに本が山積みになっていたり、シルバニアファミリーの楽園になっていたり、「来年こそ、○○社(大手出版社の名)に転職する!」と書初めが貼ってあったりしました。そういえば、編集部の共有チャットで最初にみたのは、発送前のアイドルのサイン入りチェキが混ざった画像で、「若い女性の顔はみな同じに見えてしまいます。○○さんはどれですか? 詳しい人教えてください」というメッセージでした。

14時すぎてからボツボツと人がやってきて、21時ぐらいがいちばん人のいる時間帯です。とりわけ記者に夜型が多いから、こういうスケジュールになっているわけではありません。ただ単に締め切りに間に合わないからです。週刊誌は取材の時間も短く、直前まで全国を飛び回っていることも珍しくはありません。

あ、ひとりだけ研修のとき編集部にいました。エース記者のTさんです。
夜はさっさと帰宅し、朝に原稿を執筆するのです。これはすごく危ないスケジュールです。普通は〇日締め切りの場合、翌日の印刷所の始業時間である9時がデッドラインです。これを超えると、印刷所や配送スケジュールにまで影響を与えるので避けなければなりません。だからといって、前もって記事を準備はできません。そもそもギリギリまで取材しなければ、記事にはなりません。だからみな取材から帰ってきて、夜中にパソコンに向かい、徹夜して原稿を仕上げるのです。Tさんだけはちゃんと睡眠をとって、朝の5時ぐらいに出社し、9時までの間に原稿を完成させていました。それも毎回、おもしろいのです。

この場合は、「いい文章=ストーリーが再現される」です。週刊誌は大手メディア(テレビ・新聞)の補完メディアです。大きな物語ではなく、小さな物語を伝えるのが仕事です。社会の中枢の人たちだけでなく、声の小さな人、声をあげられない人の声を拾ってきます。そういう声は、そのまま載せても社会で無視されてきたように、誰も読んではくれません。だから自分ごとのように感じてもらうために、ストーリーが大切になります。ほかの業界の記者よりも自然と雑誌記者に要求される文章力は高くなります。ここが雑誌記者の醍醐味ともいえます。

Tさんだって、夜中(明け方まで)に書きおえたほうがストレスはすくないはずです。そして真夜中の編集部は、まるで文化祭前夜のように賑やかです。ウーバーでカレーやラーメンを注文したり、息抜きの麻雀で盛り上がったり、普段はあまり話さない人と深そうでたわいもない会話をグダグダとしたり。締め切りの不安から目を背けるために、みなで仲良く慰め合っているわけです。

それなのにどうして、Tさんは間に合わないかもしれないリスクをおかし、そしてみんなと孤独を紛らわしもせずに、ひとり朝早くに起きて書くのでしょうか? 気になり、ぼくも朝5時に出社し、記事を書くようにしてみました。そうするちゃんとした理由があると、ぼくは思いました。ただ早起きが好きとか、群れるのがきらいとかという理由ではなく、朝書かなければならない文章上の切実な理由があると思ったのです。

そして、このとき書いた記事で、ぼくがはじめて上司のデスクから褒められました。「人生の機微に触れられている」と。この言葉は雑誌記者にとっては、最大の賛辞ではないでしょうか。これまでとぼくが変えたことは、ただ早起きして書いただけです。

いつ文章を書くか?

文章はいつでも書けます。
そして完成した文章には、いつ書かれたかのかスタンプは押されていません。だから書く方も読む方もあまり気にしていません。しかし、いつ書くかで全然ちがう文章になります。もし牛肉みたいに記事にも等級ランクづけをしなければならないのなら、書かれた時間は重要な指標になるとぼくは思っています。ひとりよがりの文章だと、散々いわれてきたぼくの文章でさえ、朝書いただけで褒められたのです。それもいつも厳しく指導し、誰よりもぼくのこれまでの文章を知っているデスクからです。

これはすべての書く行為の当てはまると思います。朝はクリエイティブな時間です。一日でいちばん頭がクリアな時間帯です。夜のうちは、頭の中では書く材料をごっちゃ混ぜになっているけど、一晩、置いておくことでいい具合に頭の中で発酵されているのかもしれません。

思えば、小説家も朝は早いです。村上春樹が毎朝4時に起きて、小説を書いているのは有名な話です。月明りのほうが苦悩する小説家のイメージにはピッタリですけど。退廃的なイメージの太宰治も午後3時以降はペンをとらなかったようです。

小説家だけでなく、ビジネスパーソンもそうです。アップル創業者のスティーブ・ジョブズ、後継者のティム・クック、ウォルト・ディズニー会長のボブ・アイガーなどみな早起きです。日本でも伊藤忠が朝型勤務にシフトしたことで、生産性があがり、また出生率上昇という思いがけない効果もあったといいます。

夜にだっていい点はあるでしょう。朝がクリエイティブなら、夜はエモーショナルです。友情を深めたり、恋愛したりするのに向いているのでしょう。政治や商談事は夜のほうがすすむでしょう。

でも文章を書くのには向いていません。夜に勢いまかせに送ってしまったメッセージを後悔した経験は誰にでもあるのではないでしょうか。恋愛なら、勢いとタイミングが大切なので、それでもいいでしょう。眠れずにまだ起きているというのが伝わるだけで事態が好転するときもあります。

しかし仕事はそうはいきません。いちばんいい文章が書けるときの時間がわかっているのなら、その時間を捧げるべきです。夜はなにを書きたいのか思案するだけ、または箇条書きぐらいにとどめ、翌朝、うんと早起きして、書くのです。それがいまの自分が書けるいちばんいい文章のはずです。研ぎ澄まされた頭と、いつまでも持続する集中力で、自由気ままに想像力を躍らせてください。

どうしても夜しか書く時間がとれない場合でも、朝いちど読み直すだけでも大きく違ってくるでしょう。朝の光に照らされれば、言いすぎている部分や論を急ぎ過ぎたところなどの違和感が見えてきます。ただ早く起きるだけで、文章がうまくなるのです。これは誰にでも、明日からもできる。これほど簡単な文章の上達方法はありません。

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