「普通」って何?「普通」も「当たり前」もないからの件

「普通」を使って会話する時は気をつけなくてはいけない。

「普通分かるでしょ」
「普通にやって」→これは、「ちゃんとやって」にも言える。「ちゃんと」とは?

「普通ってなに?」って聞いたら、「普通分かるでしょ。」と返ってきたらしい。小学生同士なので仕方ない。

娘よ、正しいよ。「普通」って、なんだか分からない。分からないと言うのは「普通」の意味ではなく、「普通」とは人によって、国によって、時代によって変わるからだ。

つまり、何が「普通」かは社会的・文化的文脈に依存しており、絶対的な基準は存在しない。

極めて個人、自己の基準と言える。

自分がやっている事は普通なのだ。自分が出来るからそれが基準になる。自分は自分の人生しか知らないから仕方ない。脳の勘違い。なぜかみなも同じだと思ってしまっている。

「当たり前」も同意である。

当たり前にあるのは自分にとってあるものだ。

当たり前だと思っているものも、他の人には当たり前では無い。お母さんがご飯を作ってくれるのも、布団を干してくれるのも当たり前では無い。

有るのが難しいもの。

「有り難い」ものだ。

昔の人は天才だな。有り難いものだから、ありがとうなのだ。有り難く感謝しよう。

当たり前だと思うから感謝の気持ちも忘れてしまうのだ。

今生きている事も当たり前では無い。

自分も有り難い存在なのだ。


それでも、「普通」や「当たり前」は会話でよく出てくる言葉だ。だから、それらを使って会話する。明確な基準ないけどねー、この人にはこれが基準なんだー、大体の人はできる事だから普通って使えるなー。と、頭に置きながら使う。

いいなと思ったら応援しよう!