夏が来れば思い出す、曲を聴けば思い出す
昨秋によく聴いていた曲。
ふと、YouTubeで視聴した。
すると、昨秋あたりの感情が自然と思い出され、それをしばし反芻した。反芻した記憶はいささかセンチメンタルなものだった。
きっと誰にでもあるだろう思い出の曲…というより曲が記憶を想起させるってこと。好きな曲が多いと思うのだけれど、そうじゃないこともある。たとえば、そのときにヒットしていた曲など。
感情だけじゃなく、イメージとしての光景や人や出来事を思い出すこともある。
一週間前の晩ごはんのメニューは覚えていなくても、たとえばわたしが通った大学の学食のラーメンが不味く、その味は忘れていない。ちなみにカレーライスも不味かった。
本当になんで覚えているんだろうというようなことでも、何故か忘れずに記憶の引き出しに入っていることもある。決して大切だったり重要だったりすることじゃなくても。やっぱり、脳は不思議ですごい。医学的には解明できるのかもしれないけれど、自転車に乗っていて転んで(そう聞いた)、気がついたら入院していた時も、自転車で転んだ記憶がない。また、ひどくショッキングなことは記憶から消去されるのか、記憶されていないのか、覚えていないこともあるらしい。たぶん、こころを守るためではないだろうか。
記憶は勝手に浮上してくる。
いま、以下の曲が気に入っているし、Spotifyの通勤時プレイリストに入れてあるので月曜から金曜までは間違いなく聴いているから、半年後や1年後などにあらためて聴いたらいまの気持ちを思い出したりするのかな。
ここ最近はどうということもなく、喜怒哀楽で言えば「怒」「哀」をぽつぽつ感じてるから、そういう感情を追体験と言うか、ふたたび味わうのかな。それはうれしくないな。
わたしはスポーツは水泳しかできないけれど、何年も泳いでいなくても泳げてしまうっていうのは(習得も難儀なバタフライでさえ)、本当は脳が泳ぎ方を記憶しているんだろうけれど、体感的には身体の記憶である、と言いたい。
こういうことを書くつもりじゃなかったのに(笑)