なぜ、東京オリンピックでボランティアをしようと思ったか?
ほんの短い期間でもいい。いつもの日常とは全く違う、別世界に飛び込みたい。
歴史的なイベントに関われるという高揚感もある。でもそれ以上に、期待していること。いつも生活し、仕事している地方から離れた、東京のど真ん中で連日活動するということ。いつもとは違う場所で、始めて経験する業務。それだけでいつもとは違う、別世界に来たんだという期待は膨らむが、その上、そこに集まる人たちは、出身も職業も年齢性別、バックボーンもバラエティに富み、多様な人たちとの共同作業。そんな多様な人たちの中にいても、同じ志を持ち、同じ方向を向いている人たちとの共同作業は楽しみだ。いつもと違うロケーション、普通は交わらない人たちとの交流、そして得られる刺激、いわば非日常感を求めているのかもしれない。
まるでいつもの日常がクソで、何が何でもオリンピックのボランティアに参加するのが素敵だ、みたいな書き方になってしまったが、そんなつもりはない。ボランティアに参加することでデメリットもあるし、片付けなければならないハードルもたくさんあった。
私は時間を比較的自由に都合できる自営業者ではないし、オリンピックにも協賛している某大手広告代理店勤務でもない。オリンピックにもスポーツにも全く縁のない業界でごく普通の会社員をしている。
わざわざ別の世界に飛び込む、みたいな大がかりなことをしなくても、いつもの仕事でも刺激や気づきはある。ボランティア参加で仕事に穴を空けることで周囲に「迷惑をかけている」という後ろめたい思いをすることもないし、なにより収入面も有利だ。交通費や滞在費などで少なくない出費をすることもない。今の時期は東京で活動することによるコロナ感染も心配だ。
ボラ参加によるメリットとデメリットを、ありとあらゆる面で総合的に考え、はかりにかけた。そして自分の場合は、ボランティアに参加する方をとった。
しかし私は前述したとおり普通の会社員。オリ・パラの準備期間も含めた二ヶ月近くもの間、仕事を辞めるわけでもなく「休職させてください」というわけだから、周囲との折衝や仕事の折り合いの付け方の労力は言うに及ばずだった。最終的に認めてくれた会社と周囲には、やはり感謝したい。
「もうすぐボランティアジャーニーのクライマックスを迎えます」などというフレーズをどこかで見かけた。オリンピックの開催が目前に迫り、何年も前から準備してきた我々ボランティアに「いよいよ本番です」と雰囲気を盛り上げることを促してるんだろう。ジャーニーというのは旅だ。これまでオリンピックの進捗に合わせて、ボランティア参加の準備に時間と労力を割いてきたことを旅になぞらえるのはいい例えだと思う。
自分がボランティアに応募したのは'18年だったか。'19年から対面研修も始まり、本来は'20年に本番を迎える予定だった。1年延びたとはいえ、自分も休職の段取りや活動資金確保の貯金など、それなりに労力と手間をかけながらも着実に準備をしてきた。ほぼ、当初に思い描いていた通りにボランティア参加できることは幸せだ。もうあと少し。あと少しで別世界に行く。
本当に楽しみだ。