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くにゃん、くれ。くにゃん、さら。あたしのダンスをご覧になって。そのまんまで生きろぉ
#古賀コン7 提出作品
コンテスト終了後に改稿したものを
画像にしました。
(1時間で書くルールの提出作品はそのまま下のテキストに残してあります)
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「仁川(インチョン)ならよかったのに」
タクシーの窓に、ソウル市内が流れていく。夜とは違って鏡にはならないから、ちょっと安心して、だけど注意深く、運転手に分からないように日本語だけで話す。仁川ならあと、二時間の猶予があったのにな。
「楽しかったなあ」
先に帰国を決めた康徳(カンドク)が、選びきれない言葉の最初をあきらめたみたいにありきたりなことを言う。
「おれこっちに来てはじめて日本人になったわ。あっちに戻ったらまた韓国人なのにな」
うん。おなじ。
「これからは親父の店真面目にやるからさ。子ども時代は今日で終わりだよ」
うん。そうだね。
「空港って単語ど忘れしてさ、タクシーで飛行機乗るところって必死で言ったら伝わって、思えばあん時にやっていけるかもって自信ついたんだったなあ」
ばかみたいだけどぜんぶカンドクの大事な話で、いままで半年ずっと一緒にいたのに、初めて聞くことばっかりだ。
おまえこっちみろよ。え。やだよ。
息がつまるような気がして、やっぱり金浦(キンポ)でよかったと思う。
昨日、ひとりになるなら帰りたいなんて弱音を吐いたあたしに、帰るってことはあきらめるってことだぞって言ってくれた。それにひとりじゃなくて下宿(ハスク)にはおばさん(アジュンマ)も友達もいるだろってしごく当たり前のことも。アジュンマとは一緒にホクロを取りに行った仲だし、語学堂(オハクタン)の友達とは同じスピードで言語を獲得してそのたびに話せることが広がっていく赤ちゃんの世界の不思議を共有してきた同志で、あたしはまったくひとりなんかじゃなかった。
すこし青っぽい街灯がときどき接触不良をおこしていて、じーっと音もする。坂道を上って下ってそう上等ではないあたしの下宿についても、その階段下でふたりしてことばを探っていた。
カンドクはさっき地下鉄の階段の踊り場でピアスを買っていて、あたしのみみたぶを引き伸ばしながらピアスホールに慎重に差し入れた。くすぐったくて、つめたくて、少し痛かった。
「美鈴(ミリョン)は耳がいいからもっとうまく踊れるようになるし、発音もいいからラップもサマになってきてる」
今までちっともサマになってなかったってこと? ってちょっと怒ってみせたけど、実はこのまえのワークショップからなにかを掴みかけてる気がしていた。
「まだ半年あるから、がんばれ」
うん。
真剣な顔してるのはやっぱちょっとはずかしくて、左右に揺れるリボーン、三千ウォーン(サンチョノーン)って低音ラップする。
オーディションに何個も落ちてくさくさしてるとき、カンドクは弘大(ホンデ)のクラブに連れて行ってくれた。あたしが夢中で踊る間、気配をなんにも感じさせなかったくせに、あたりの米兵の手が腰を抱くような素振りを見せあたしがちょっぴり身をすくめたその瞬間に背中でかばってくれた。次のときも、その次のときも、自由に踊れるように背中で胸で守ってくれていた。知ってて甘えてたよ。
チェックインを済ませてもうあとは出発するだけの空港に、なんどもチャイムが響く。
ミ、ド、ミ、ラー。
ミド。信じてる。何を?
カンドクの右手があたしの左手を包む。カンドクの左手はあたしの右手を捕まえる。クラブじゃないところでこんなに近づいたことなんてなくて、あたしはカンドクの右目を見ていいのか左目をみたらいいのか戸惑う。でもまって、このままもっと触れたりしたら、あたしは歌なんかダンスなんか捨てたくなるかもしれない。
「おれと、…ってくれますか」
戻って? 踊って?
ちがうちがうちがう、あたしがほんとに欲しいのは、いまは、それじゃない。
「わたしのダンスをご覧ください、だわ」
カンドクの両手を、いっかいぎゅってしてからターンで振りほどいて、ステージみたいに背中越しのポーズを決めた。
うん。
カンドクは大きく頷いて、それからサングラスをくれた。おおきなフレームであたしの顔の半分が隠れる。ひとりの帰り道、安心して泣けた。
「今日金曜じゃん。八時待ち遠しいね」
「一週間すっごい楽しみだったよー」
十六歳になった紗良とあたしは、今まさにちゃんみなさんのオーディション番組NO NO GIRLSに夢中。NAOKOの歌いながらのヒット(それも二回)は解説動画を何回も見ました。
白状すると、CHIKAのリリック「命かけて歌っとうったい」に、あたしは夜中咽び泣いた。
「あのころのミリョンじゃん」
ほんとだね。夢破れたあと、カンドクとサラに生かされたんだわ。
サラっていうのはね、生きるって意味。
くにゃん、くれ。
そのまま、そのように。
くにゃん、さら。
そのまんま、生きろお。
サラの、女の子たちのまぶしさが、今はとってもうれしいんだ。