カンガルーのぽっけ
こい瀬 伊音
「あのね、
わたし
カンガルー
おなかのふくろのなかで
きょうだいたちとぬくぬく
ときどき顔をだしてはきょろり、
外の世界を見まわして
なんだかこわくてあともどり
あのね、あのね。
いつか、だれか、
ここから飛びだしたら
みんなで支えよう
つづけつづけ!きょうだいたち
ここにいる?
だいじょうぶ。
わたしたち
すてきなシェルターで眠ろう
あたしい朝がくるまで」
***
しゃがみこんだあしに、砂が降りつもっていました。
本を閉じたわたしに、ぼうやが問いかけます。
「まま?ままはカンガルーのおかあさんなの?」
「そうよ、もうぽっけには入れないくらいおおきくなったの」
ぼうやはくりくりの目で、おなかのふくろから顔をのぞかせわたしをみています。まんまるの月は西へ、かたむきはじめていました。
「外の世界は、こわかった?」
「はじめはね。でも、おもしろいおじさんたちや歌をうたうおねえさん、やさしいおにいさんも、ねこさんもいて、色とりどりの蜃気楼をおいかけていくとね、はじめての景色がみえたわ」
「すごい!ぼくも、みてみたい」
おなかのふくろのなかで、足をぴょんとばたばた。ねえ、もうおなかが、やぶれそうよ。
そのとき、ぼうやはぽつりといいました。
「でも、ぼくはね。ほんとうは、本をよむのがこわいんだ。なんでかっていうとね。ものがたりに、ぼくがとられちゃうからだよ」
ああ。このこは、ほんとうにわたしのこ。こわくてこわくて、本を閉じたまま四半世紀を過ごしたわたしの。
「だいじょうぶ。世界は、すこしずつやさしくなるわ。誕生日の朝が来るごとに。悲しいことをしるたびに。つらい別れをするごとに、ね」
ぼうやはくりくりと、くるくると、わたしをみています。
「お別れしないといけないの?」
なんてことないように、そうよ、と答えました。
そうとしか、いえません。ときがせまっているのです。
「また、星ぼしがうまれるわ」
わたしは声をはげましました。
「いっしょに?きょうだいなの?」
わたしはきらめきをひとつひとつおもいかえします。
「そうよ。一番星にむかってきらきら。いちどきに、星座と星雲がたくさんうまれたの」
「ゆかいなおじさんたちに、ハグのおねえさん、愛がなにしろおおきくて。干支のどうぶつたちから馬がジャンプでとびだすと、きりんやらくだや蟻さんまでが大行進。ずうっと先の神殿に傘が咲いて鳥がとんで」
夜空の星ぼしをそらんじて、ぼうやがうたうようにいいます。
「人魚姫は?」
「歌はうたえなかったけど、いっとうしあわせだったって」
「どうしてままにわかるの?」
「つたわってきたからよ。泣きながら本を読むおともだちもできたみたい」
ぼうやの目がまんまるのままゆれています。
「泣いても、いいんだね」
なんて、おとなみたいなひびき。
そうよ。
泣いても。
ちいさくたって、弱くはないの。
よあけまえ、ぼうやはするりとぽっけからでて、すとん、と砂漠に足をそろえました。
そのときが、きたのです。
「たろ。かばんに愛だけいっぱい、つめておいき」
ぼうやの毛並みは風を受けて、見違えるように光りました。わたしの手を、いま、はなれるのだ!
さようなら。
さようなら。
あの空をかざってね。ずっと、見守っているわ。
ぼうやの背中が見えなくなったあと。
わたしはじぶんのためだけに、いっとうおいしいお茶をいれました。
遠くまでいくのよ。
約束よ。
(おわり)
おまけ
このおはなしは
ブンゲイファイトクラブ主催者・西崎憲さんの
あるツイートからうまれました。
なんてすてき!
夜の空を彩る、たくさんの星ぼし。
たまらずわたしはこんなうたをよみました。
絵は
わたしのだいすきな、
そして尊敬してやまない
冬乃くじさんが描いてくださった
「カバンたんとフトンたん」の
こい瀬コラボバージョンです。
素敵な場をあたえていただいたことへの感謝と
いっしょに戦ったなかまへの敬意と
一番星をめざしてゆく足跡
星ぼしの誕生を
ここに置きます。
BFC2 1回戦ファイター
こい瀬 伊音