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オレンジのちアプリコット

 まばゆいオレンジのなか、裕貴の背中が遠ざかっていくのを見送りながら、わたしはちっともさびしくないことを確認していた。
「あーさむっ」
 ぴったりと閉めていた掃きだし窓が反射して、逆光のわたしを映し出している。冷気が入り込まないように、と思ったのだけれど、閉め出された気持ちにもなる。この部屋、どうしようか。
 越してきて、四年がたとうとしていた。ベランダ用のスリッパのままで、点検のように1LDKの部屋をぐるっと見回す。二泊三日の乱雑を片付けてしまえば愛着もある。会社まで近すぎず遠すぎず、気ままに暮らすにはちょうどいいのだ。やっぱり空気の入れ換えをしよう。前回の更新のときはなにを迷うこともなかった。
 アクティブに過ごすのは土曜日で、日曜日はゆっくりと。話し合って決めたわけじゃないけれど、自然とそんなリズムになり、その後は動かしがたくなった。今朝もいつもどおり時計を見ながら九時半まで眠って起き、昨日の夜から卵液に浸しておいたパンをゆっくりゆっくり焼いた。バターとバニラエッセンスのかおり。しょっぱいものもほしいよね、と、アスパラのベーコン巻きを転がす。茶葉を急須に入れたけど、コーヒーメーカーがぼしょぼしょと音をたてだした。オレンジを切り、ミニトマトを添え、ちいさなココット皿にヨーグルトを。いちごの果肉がしっかりとあるジャムをまんなかにおとす。レースのカーテンの模様が床におちて、その縁を何度も目でなぞりながら言うか言うまいかを決めかねていた。嫌なことは、なにひとつとしてない。
 第三子以降大学無償化のニュースは木曜日に知った。三人ね。三人。国を動かす人達の、解像度の低さに辟易とする。わたしはまだ奨学金も返し終えないまま、三十四歳になった。同期は育休から無事復帰したものの、インフルエンザで保育園が閉鎖になり出勤できていない。三人いれば三人のタイミングで熱をだし、保育園や学校から呼び出され、引き継ぎし、出社し、「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」、「いつもありがとうございます」、と潤滑油のお菓子配り。
「Amazonでいろいろ、お気に入りに入れとくの。出社する日に配れるように。わたしが逆の立場なら心のなかでぜったい迷惑だって思うから」
 そんなことないよ、と言えばそらぞらしいことが簡単に想像できる程度には業務がタイトでいつでも人手が足りなかった。余裕ある人員配置なくして、長時間労働の是正なくして、少子化対策なんてあり得ないのは普通にさえ生きていれば無理なくわかることなのにね。自分ではわからないなら、話を聞いてみればいいのに。ほんとほんと。
 がんばらなきゃ、がんばってなきゃ、わたしに価値なんてないもの。相手の求めるものを先どって、段取って、困った顔をしたりにこにこしたり、そうしていないといられないんだもの。
 同期は職場で、わたしは恋愛で、痛いほど感じている。近づけば近づくほどあたりまえになりまた遠くなる完璧を求めて、日々がんばって頑張る日々。夕方早くに、恋人が帰っていってほっとする日曜。
 何も言わないまま、部屋を更新しようと決める。裕貴がいてある程度しあわせ。何も言い出さないことは意思ともとれる。何も聞かないことは消極的でも現状維持を望むあらわれ。先送りする二年で、わたしはなにを得たいのだろう。
 空気を入れ替えて、乱雑さを拾い歩いて、わたししかいないこの部屋に射す夕陽こそ完璧だと思う。
 沸かしたてのお湯で、ゆっくり、アプリコットティーをいれた。
 

 

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