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不可逆的ガチョウ倶楽部



 可逆か不可逆かっていうのは大きいんです、戻れるか戻れないかということですからね。なんとか食い止められるか否かってことです。ご自分の状態がだんだんわかってきましたか。
 ALT48。健康診断では何年にもわたって芳しくない数字を叩きだし、運動するつもりがあるのか聞かれ、そのたびに「近々始める予定である」をチェック、なにもしないまままた次の健康診断が来て、加速度的にほぼすべての数値が右肩上がり。一センチ刻みだった腹囲が四センチも増えた。わかっているけどお酒もおつまみの塩気もスイーツもやめたりしない。だってこころの栄養でもあるんだし。大丈夫、肝臓の数値はいつでも凪いでいて、涼しい顔をしていてくれる。きっとそのはず。ね?
 ぷしゅっ!
という音も好きだけどプルタブを折り返して、飲み口の部分のアルミがガイドラインどおりにはずれ行く時の音がもっと好き。どこかひっかかるような、引っ掻くような。とっとっとっとっとっとっとっとっ。ほら、音階が上がっていくでしょう。ずうっとずうっと注ぎ続けたらきっと空まで届くようなあるいはなにか。なにかってなに、いっそ天国まで続く階段で、ふわふわに酔ったまま天に召されれば本望、みたいなこと?
 ちゃんとがんばって仕事して、ちゃんとがんばるためにがんばるための燃料をつめて、使えないわって言われるぶんを溜め込んで、誰も食べないフォアグラをおなかのなかにたくわえている。いつか、だれかがおいしくたべてくれるとか? そんなのはまあ絵に描いた脂肪で、絵なんて描かなくても鏡のまえに立てばおおきな餅に出逢えてしまう。ガリバーみたいに縛りつけられて、小人たちが解体して、いっそおなかいっぱい食べてくれたらいいのに。や、だれも食べたくなんかないんだって。同じ大きさの人間なら見向きもしないとわかってるのに、小人ならとか考えるところ、ほんと卑しいよ。立場が弱いやつらの口を塞ぐみたいなさ。
 久しぶりに会えない?
 毎日お酒を飲んでいる。二十歳の頃より十キロ以上体重が増えている。まみれたいのは唐揚げのタルタルソースとシュークリーム(生クリームとカスタードクリーム両方入っているのがマスト)、運動は苦手。ストレスがあると無性になにか噛みしめたくなって、おせんべいばりばり、あとポテトフライのカリカリしたやつ(なんなら揚げ直す勢い)、芋けんぴとかエンドレスで食べる。口の中に刺さる。いっそ切れたらいいのに、口の中から血が溢れるんならわたしだってやめるのに。ちょっとした血の味くらいならわざと圧かけて吸いだしちゃう。吐き出した唾液のきれいな赤が、生きてるんだなぁって感じさせてくれる、とはいえ喀血すら美的にしちゃう文豪とはちがって、ただの歯槽膿漏でひとりうすら寒くなる。
 久しぶりに会えない?
 ファスティングに興味ありませんか。先月は五人が取り組んだんですよ。インストラクターは僕です。ほんとはラーメンが好きなんですけどね。挫けそうになったら連絡ください。ちゃんとフォローするんで。
 ボトムのファスナーがVのまま上がらないのに、ほかの人と並ぶとか無理だし。自分のことなんて誰も見てないのに人目を気にするっていうのは完全に自意識過剰ではずかしいし。もうそういうのからは降りたしやっとBBAの境地に安住の地みたいな安心感を得られそうなの。邪魔しないで。
 ちゃんとフォローするから。
 久しぶりに会えない?
 ファジーなとき、誰かに相談とかしない。自分の声でそんな話を聞いたら、前にしか進めなくなる魔法にかかるから。
 後戻りできなくなったらいよいよ話せない。足元がどんなに不安定でも、自分で立っている事実だけは崩したくないから。何も言わずに、静かに、差し出されたグラスを空に。空に空に、階段をかけ上がる。ほんとは馴れない格好で足が痛いけど、しゃんと歩けない自分を許したくなかった。
 久しぶりに会えない?
 靴はぜんぶ脱いで締め付けも解いて、自由に寝そべる。
 なにを捨てれば自由になれるかって話で、捨てなきゃ自由になれない不自由さについては決然と無視をする。
 わたしはもう自由だ。
 わたしはわたしなんだ。
 だれのためでもない自分のためだと本気で思えるまでは、ここを動いたらだめなんだ。酵素ドリンクなんて意識が高すぎるものの摂取はいとも簡単にわたしを都合のいいスペアに駆り立てるんだ。嫌われたくないからする、すべてのことにきっちり背を向けるんだ。
 磔のガリバーは寝たまま食べる。
 食生活の改善と適度な運動が必要です。生活習慣が直接響くから生活習慣病と言われているんですよ。数値は正直ですから、何も改善されていないことがよくわかります。
 いまわたしは、会えない姿をしているよ。計測できないこころがこれ以上悪化しないように。
 どうぞ、どうぞどうぞ。まだクリームが足りないの。

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