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自転車のサドルにカマキリが乗っていた

ほんとうに情けない。

人の一生を90年と仮定し時間に換算すると、およそ79万時間になるらしい。
限りある時間をどのように過ごせば、豊かな人生といえるのだろうか。
業務効率化、生産性向上、タイムパフォーマンス。より短時間で高い効果や満足度を得ることを価値とする考え方は、いつからかスタンダードな顔をして時代に横たわり、常に私たちを追い立てる。

そんななか、私は自転車のサドルに乗っかったカマキリ1匹のせいで、もう30分も身動きがとれないでいる。


台風が近づく夜。翌日には関東地方に最接近し、大きな影響が予想されるとのことで、早めの備えと厳重な警戒が呼びかけられていた。
危機感を煽られ、備蓄品を買いに夜のスーパーへ駆け込む。
平時であれば客足はまばらな閉店1時間前の店内はやけに混み合い、店内を彷徨う人々の目には、どことなく明確な目的意識があるように感じる。人の間を縫うようにカートを走らせながら、水やレトルト食品などをカゴに入れていく。
ひと通りの買い物を済ませ、両手に荷物を抱えながら駐輪場へ向かう。湿っぽい風が強く吹いているが、雨が降り出す前に帰宅できそうだ。

視界が自転車を捉えたところで、サドルに何かが乗っているのが見える。近づくと、それが無生物ではなく、意思を持った存在であることを認識する。

サドルの上で、カマキリが踊っているではないか。

ドクン、という明瞭な重い鼓動を感じる。
とりあえず、カマキリを視界の端に入れながら、肩にかけていた買い物袋を一袋、自転車のカゴに入れてみる。何かを察して飛び立ってくれることを期待したが、敵はただただそこに佇む。

タイミングが悪かったのかもしれない。自転車から少し離れ、本人の自主性を見守ってみる。長い手足を動かしながら、サドルの上から、サドルの側面、裏へと器用に移動する。しかし、一向にサドルから離れようとはしない。

時折、駐輪場に出入りする買い物客とすれ違う。
カマキリとのいざこざを悟られたくなくて、人が通るたびに、何か緊急対応をしているかのように、熱心にLINEを打ち込むふりをする。お盆休み真っ只中、それも台風接近中の夜遅くに、スーパーの駐輪場で何の緊急対応があるというのだ。
いや、現に静かなる緊急事態が発生中なわけだが、通りすがりの人にそれを示すことによる、たかがカマキリで?と思われるであろう恥に打ち勝てない。
ちょうど帰宅時間の連絡をよこした夫に状況を伝えてみたが、速攻で既読がつき、「試練わろた」と小さな吹き出しだけが返される。

背中にはじっとりと汗をかき、Tシャツには熱がこもっている。
エコバックの紐が肩に深く食い込み、無造作に詰め込んだアイスや冷凍食品の結露が服を濡らす。

私は何を恐れているのだろうか。
カマキリを払いのけたら、こっちに向かって飛んでくる展開?飛んだ拍子に、今度は私の身体に止まられたら卒倒する。
すべては起こりもしていない勝手な想像に過ぎないが、虫と対峙した人生経験の乏しさから、その想像を拭うほどの反証をかざせない。

カマキリはどのくらい飛ぶのだろう。
サドルから追い払ったときの、奴のおおよその動きをまったく想定できないことが、見えない恐怖を駆り立てる。派手に飛んでいくのか、はたまた無抵抗に地面に落ちるのか。
そういうことをみんなは知っているの?大人になった今でも、こういうみんなが当然のように享受しているであろう何かを、私だけが知らないような感覚がずっとある。しかし、それを知るときには、何かしらの痛みや恥じらいを伴うのだろうなと思うと、ずいぶん長く生きてしまった。

相手が意思を持っているであろうことが怖いのかもしれない。私はあなたと戦いたいわけではない。ご移動を願いたい、ただそれだけなのだが、向こうはそう捉えてはくれないだろう。どいてほしいと伝える手段を持たない自分のあまりの無力さ。
所詮、言葉など、それを受け取れる相手との間にしか成立しないツールなのだと、その事実に途方に暮れる。

これがもし仮に、私の自転車のサドルに見知らぬ人間が乗っていたら、別の類の恐怖はあるが、カマキリのケースよりも解決は手早いだろう。本人に声をかけるか、ダメそうであればスーパーの定員さんや、場合によっては警察に支援を求める。はたまた、サドルに乗るのが猫だったら、写真を撮って投稿すれば、SNSでそこそこバズるかもしれない。
または、駐輪場の地面にカマキリを見つけたのであれば、「うわ!カマキリだ」と少し警戒しながら通り過ぎるくらいで済むだろう。
カマキリ、サドルの上、それも私の自転車のサドル、という3点の偶然のかけ合わせに、私は今、こんなにも苦しめられている。

どれくらい時間が経っただろうか。
夜とはいえ、30度近い外気にさらされ続け、喉が渇いてきた。時を戻そうと、再びのスーパーへ。

69円の綾鷹を手に取りレジに向かう途中、生活用品コーナーが目に止まる。もしかしたらと思い、陳列棚をくまなく探す。蚊取り線香、防虫剤、ゴキジェットの並び。なぜこの方法をもっと早く思いつかなかったのか。突如、戦況にひかりが差し込む。
ただ、ゴキジェットは即死させそうである。決して、殺めたいわけではない。殺虫に重きを置き過ぎず、しかし移動を促す刺激にはなりそうなほどよい効力。ダニ防止スプレー。これだ。わが家でも前々から必要としていたものだったのだと、これが戦いを終わらせるためだけの買い物ではないことを自分に言い聞かせる。

清算を済ませ、現場へ。
この間にいなくなっていることをうっすら期待したが、おかえりー!とでも言わんばかりに相変わらずサドルの上で踊っている。
(ちなみになぜ踊るような動きをするのか調べてみた。検索と同時にドーンと写真が表示されることを恐れ、薄目でGoogleに聞いてみると、どうやら天敵に見つからないようにする擬態行動らしい。いや!バレてるから!!しかもよりによってサドルの上は、自転車の部位の中でもっとも目立つ場所だと思う。対人間への効能じゃないからいいのだろうか)

ダニ防止スプレーのフィルムを剥く。長かった戦いはこれで終わりだ。あばよ、踊るカマキリ。
周囲に人がいないことを確認し、噴射口を「出」に合わせる。噴射後の敵の動きをシミュレーションした上で、こちらの避難経路も確保。引けた腰で腕を伸ばし、レバーに力を込める。


カマキリをめがけた渾身のひと吹きは、瞬時に台風の風に巻き取られて高く上がり、今にも雨が降り出しそうな黒い空に吸い込まれていった。


本来の商品価値である、ダニを退治するわけでもなく、肝心の敵に威嚇ひとつすらできない。スプレーは雲となり、明日の関東にはいくらかの防ダニ成分が混ざった雨が降るだろうか。
私はいったい何をしているのだろう。敵は嘲笑うかのように、三角の小顔をこちらに向けながら揺れている。その丸々とした目には、私がどんなふうに映っていますか。

駐輪場の電気が消える。22時。閉店の時間だ。泣きたい気持ちが込み上げる。
そのとき、暗闇のなかから、警備員のおじさんが歩いてきた。一瞬のためらいを捨て、ダニスプレーの引き金を引くときと同じ祈りを胸におじさんへ駆け寄る。


「あの、すいません……すいません!カマキリ……カマキリが、自転車にいて……とってもらうこと、できたりしますか?」


今後の人生で同じセリフを言う機会があるだろうか。
こういう何の教科書にも載っていないであろう、わけわからん依頼の言葉を瞬時に捻り出せるあたり、なけなしの社会性に感謝。

おじさんは、ああ、カマキリ?と言いながら自転車に近づき、首にかけていたタオルでさっとさらった。カマキリはぽとりとサドルから落ちた。わずか1秒にも満たない。彼の79万時間のうちの1秒。
勢いよくお礼を言う。台風気をつけて~と言いながら、救世主は闇に消えていった。


止まっていた時間が動き出す。
自転車を解錠し、逃げるようにスーパーを後にする。

おじさんは何を思っただろう。
たかだかカマキリで?追い払えばいいだけじゃないか?そもそもこの女はいつからここにいたんだ、って?
自分にとってはあたりまえのことでも、同じく他者にとってもそうとは限らない。自分が簡単にできることは、誰かにとっては難しい場合も往々にしてある。
相手に対して、こんなこともできないのかと思ったら、それは紛れもなくあなたの強みだ。あなたが得ている力のおかげだ。それはきっと、いつか誰かを救うだろう。

今後、同じことがあったらどうしようという問いが脳裏をかすめ、陰りが胸に広がりかける。
いや、そしたらまた、そこに居合わせた虫が平気な誰かに対応をお願いすればいい。
もし自分しかいなかったら?もうそのときは腹を決めて格闘を繰り広げ、それをまたこうしてブログに書けばいいじゃないか。

さっきまでカマキリが踊っていたサドルに体重を預け、シャコシャコと自転車を漕ぐ。
台風の風を切りながら、家路を急いだ。

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