非スピリチュアルな私がスピリチュアルに行動してみたらどうなるかパート1〜スピリチュアル事始め篇〜
※この記事は、スピリチュアル関連、神事、仏事などに、全くと言っていいほど知識のない人間によって書かれています。出てくる単語に関しても、意味をきちんと把握せずに使用している場合もあることをご了承ください。誤用している、もしくは、説明の必要な単語や文は記事の最後に解説を入れ、間違いなどがあれば学びを深め、次の回に進めていきたいと思います。また、無知であるからこその偏見も多分に存在することにもご注意いただければと思います。どうぞ存分にツッコミを入れつつ、読んでいただければと思います。
プロローグ
私は、スピリチュアル※1とは全くと言っていいほど無縁な人生を送ってきた。占いとか、お祓いとか、墓参りとか、気にならないわけではないけど、なんとなく二の次、三の次、というふうにとらえていた。縁起とか、吉凶とか、厄とか、お守りとか、ご先祖様とか、気にしない方がむしろふりまわされず、心穏やかでいられるんじゃないの?そんなふうに思っていた。
私は山形県山形市出身で、東京で学生時代を過ごし、卒業してからも長いこと東京近辺をうろうろしていたが、ひょんなきっかけで和歌山県の串本町へと移住した。
移住してすぐに知ったのだが、串本を含む熊野地方はスピリチュアルな人々にとってはパワースポット※2、とされる場所の宝庫であることを知った。そして、徐々に増えていった移住者を中心とした友人、知人には、スピリチュアルとされる物事に関心があるタイプの人が多かった。
しかし、私は熊野に移住して10年が経っても、観光地としてもパワースポットとしても有名な那智大社にすら参ろうとさえしないスピリチュアル音痴のままだった。車でほんの1時間ちょっとの場所に住んでいるのに。
移住者仲間を中心に増えた知人の、SNSの投稿にはかなりの頻度で神社や滝などの美しい写真など、すごくスピリチュアルな感じの投稿が目立つ。
そんなSNS上の世界を日々見ていると、自分は完全にマイノリティの側であるように感じられてきた。
厄払いなんてしたことない。神社にも寺にももう何年も行っていない。墓参りはいつ行ったか忘れた。滝を見に行ったりもほとんどしない。そして、そんな状態に自分ではほとんど不足は感じていないのだ。
私がこんなにスピリチュアルではないのは、家庭環境も相当影響していると思う。
農家の次男である父と、同じ肉屋の養子同士だった両親から生まれた母からなる夫婦は、見る限り仏事や神事にほとんど関心がないようだった。私が学生になって東京に出て、バイト先などで「お盆はいつ実家に帰るの?」と聞かれても、お盆が果たして何をして、どの期間のことなのかいまいち分からなかったほどだ。
神事に関しては仏事よりさらに縁がなかった。両親が家を買ったのが河原だった土地を開拓してできた新興住宅地だったということも関連しているとは思うが、地域の祭りは皆無。神輿や獅子舞などは、熊野に来るまで私は全くと言っていいほど見たことがなかった。そして、両親は私たちを初詣に連れていくという習慣もなかったし、七五三も完全にスルー。もちろん神棚など存在しない。
とくに、母の方は仏事にもかなり無頓着だ。父は割と早くに両親を亡くし、戒名の書かれた札※3と写真立ての乗った仏壇、と呼ぶにはあまりにもちっぽけな棚みたいなものにご飯を備えてチンチンと鳴らし、一応拝んでいるらしいのだが、気の毒にこの棚はいつも洗濯物の影になっている。
母がそこで拝んでいるのは見たことがない。拝むべき対象に亡くなった自らの両親が加わっても、同じことだった。備えているご飯がしょっちゅうカチカチに乾いていて、父がブツブツと文句を言っている光景を今までに何回見たことか。
そんな環境で育ったわけだから(とは言え、もうかなりの良い年だが)、神事だの仏事だの、祈りだのスピリチュアルだのに関心が薄く、知識がないのはしょうがない、と割り切ってしまうこともできないわけではない。
しかし、である。実は、両親に関係することで、最近気になることが出てきたことをきっかけに、いわゆる、魂など、目に見えないものの存在について考える機会が出てきたのだ。
私の両親は、2人そろって献体への協力を申し出ている。きっかけは、母の両親が同じく献体に協力したことだったと思う。
母方の祖父が亡くなった時、葬式はせず、自宅で亡くなった彼の亡骸を数人で囲み、別れを惜しんだだけだった。そして、棺が運び出されて向かう先は火葬場ではなく、大学の医学部だった。
叔父と母、そして私たち兄弟はただ黙って、棺を見送った。そんななか、義理の叔母だけが遺体を運ぶ業者に、涙声でこんな言葉をかけていたのだ。
「ちゃんと他の骨と間違えずに、返してくださいね」
祖父とは血縁のない彼女のその言葉に、もしかしたらなにか大きな間違いを犯しているような、そんな気がしたのを覚えている。
私の両親も死んだらその時のように献体として、運ばれていくのだ。
私は両親が死んだら、両親の希望通りであれば構わない、と、割り切って彼らの遺体を見送れるだろうか?遺骨がいつ帰ってくるかわからないという状態をどう思うだろう。そして、彼らの遺体はどのように扱われるのか?
想像すると胸が詰まるような気分になるため、この件に関して考えを深めることさえできないでいる。しかし、このまま時が過ぎ、両親の死を迎えても良いのだろうか、と思うのだ。
数年前、一度だけ母親に、献体を取りやめる提案をしてみたものの、非常に空気が悪くなった。同じく自分の両親を献体として見送った母からしたら、自分の選択を否定されたような気がしたのかもしれない。
もし、魂があるなら、それは遺体とは無縁なのだろうか?身近な存在をなくした時、私は何処かで祈りたいと思うだろうか。心で思うだけでいい、そんな気もするけれど、いざその時になってみたら考えは変わるような気もしている。
冒頭からとんでもなく重い部分に踏み込んでしまったかもしれない。
とにかく、スピリチュアルについて、少し考えてみよう、お近づきになってみよう、と私が思い立った理由の1つは、自分が非スピリチュアルであることへの勝手なちょっとした疎外感。
2つめは両親の献体の件。
3つめは、ご利益があるなら是非!という完全なスケベ根性である。
今一度胸に手を当てて考えてみれば、3つめのパーセンテージは結構高そうだ。
※1 スピリチュアル : 「デジタル大辞泉」には「[形動]精神的な。霊的な。宗教的な」とある。私の使い方は、おおよそ合っていると思われる。しかし、改めて意味を確認しても、まだ私にはスピリチュアルとはなんなのか、よくわからない。しかし、わからないくせにはわりと頻繁に使い、便利な言葉でもあると感じている。
※2 パワースポット : wikiによると、「地球に点在する特別な”場”のこと」とある。また、同じくwikiによると、博物学研究家で妖怪評論家の荒俣宏氏は「大地の力(気)がみなぎる場所と考えるとよい」とし、「昔から大地の力を得ようとする試みはあった」と指摘、「日本で言えば熊野三山詣がとても古い事例である」と説明している。
※3 戒名の書かれた札:調べたら、位牌、とある。なるほど、聞いたことはある。表面には戒名を書き、裏面には俗名や亡くなった年月日、享年を書くそうだ。知らなかった。
那智大社で初詣
1月7日。那智大社へ初詣しようと前日から思っていた。しかし起きたのは10時。頭痛と寒さで布団にたて篭りたいところを無理やり這い出て、まずファンヒーターのスイッチをつけてだるくなるまで熱風を浴びる。布団をたたむ、部屋干しの洗濯物をたたむなど、二児の母の最低限のラインだと思われる朝の風景をなんとか整えることができるという始末。
那智まではおそらく1時間半。毎年、白い表紙の暦表みたいな本※1を購入し、スケジュール作成に生かすほどスピリチュアル優等生の某友人が確か、なんとか坂から歩いて参拝する道が良い、とか言っていたのでなるべく早めに出なければ。あと、 神社への参詣は4時頃までに済ます※2ものだともどこかで聞いたことがある。
寒い台所で、フライパンがない、ああ台所が使いにくい、など、ほぼ呪詛に近い言葉を吐きながらサンドイッチを作り、2人の息子の胃袋に送り込む。「おいしいー」と言ったのは小4の次男。私の、頭痛から来る不機嫌を読み取ってなのか、それともこれから一緒に出かけられるから上機嫌なのか。とにかく彼は、人生初のおみくじを引くのを楽しみにしているのだ。
部屋には、年末に雪国の実家に帰るために物置から引っ張り出した息子たちの防寒着が、実家から戻る際に送った段ボールの中に入ったまま隅に鎮座している。他にも、いくつかの段ボールが、整理しきれないあれこれの荷物を中途半端に入れたまま、あちこちに放置されている。玄関には、帰省の留守中に大活躍した猫の餌やりマシーンがコードを抜かれたまま、不格好に置いてある。
このまま、初詣なんか行かずに部屋の掃除をした方がよっぽど色々と上向くんじゃないのか、精神面とか、なんなら運気とか?とも思ったのだが、いや、ここは思い立ったが吉日、と精一杯のスピリチュアリティを発揮して午後1時すぎ、出かけることができた。
受験を控えた中3の長男は「合格祈願はしなくて良いのか?」などと誘っても「やらなければならないことがある」と一向に気乗りしない様子だったので留守番してもらうことにした。わかっている。彼の狙いは留守中の私のパソコンだ。まあいい。無理に連れて行っても絶対にお互いの精神衛生上良くない。どんなにスピリチュアルなことをしても追っ付かないくらいに。
道中、次男は「大凶だったらどうしよう」などと、初めてのおみくじへの期待と不安をおさえきれないようだった。彼が楽しみなのは初詣ではなくあくまでもおみくじ。
そもそも、朝起きた私が、初詣に行こうと誘うと「ええー!?もうこんなに遅いのに!?」となんだか話が噛み合わないので、よくよく聞いてみると、初詣と初日の出を混同していたようだ。それほど、我が家はその辺りの神事的なイベントに疎い。
「おみくじ、出てこなかったらどうしよう」と次男は言う。彼がそんな心配をするのにはわけがある。
実は、数年前に子どもと一度だけ実家の近所の「唐松観音」※3に初詣に行ったことがある。そして、おみくじを引いたのだ。しかし、その無人の観音様のおみくじマシーンは壊れていて、100円を入れても、くじは出ないし100円が戻ることもなかったのだ。苦情を言おうにも無人である。そもそも、あそこを管理しているのは誰なのか?全くわからない。川沿いの崖の上に建てられ、なかなか様子の良い建物で、ごく稀にだが観光バスなどで大勢の老人が訪れてカンカンと鐘を鳴らして祈祷か何かしていたようだったが。
唐松観音について、私はほぼ何も知らない。実家の自分の部屋から、これ以上ないほどの好条件で眺められる建物なのに。というか、ごく最近まで神社と区別がついていなかった。大学生になり、友人の真似事で、思いついたように初めて初詣をしてみてから神社ではないと気付いた。しかしあれはなんだ?寺なのか?ということは、あそこで初詣っていうのは正しいことなのか?でも一応賽銭箱はあるし、鐘鳴らすとこはあるし。
「これから行く那智大社は有名で、たくさんの人が行くからおみくじが出てこないなんてことになったら大変なことだから大丈夫だよ」と説明すると次男は安心したようだった。
ところで、スピリチュアル優等生の某が言っていたなんとか坂は、「那智大社」とGoogle mapに伝えて連れていかれる案内に従っても着くのか?あと19分、と案内表示がされて初めて不安になり、車を止めて調べると、友人が言っていたのは「大門坂」で、そこから熊野古道を通る道のようだ。そして、その経路は2時間半ほどかかるらしい。その頃にはもうすでに2時半だったので、Google曰く4時半までが「営業」だという那智大社には間に合わない。しかたがない。今回はスピリチュアル事始めだ。と考え、最も手軽な参詣を行うことにした。(のちに帰宅してから調べ直すと、2時間半は往復時間だった。大門坂を通っての参詣は可能だったかもしれない)
大門坂入口の巨大な駐車場を過ぎ、500円、と書かれた駐車場を2つほど過ぎ、さらに進むと今度は400円の駐車場が出てきたので車を停めることにした。
今回、那智大社で初詣をしようと思ったのはここが非常に有名な神社で、有名な滝もあり、たくさんの人が訪れるスピリチュアルスポットだから、ということのほかに、もう1つ理由がある。
それは、私がゲストハウス営業用に借りている民家の神棚にあった那智大社のお札を返したかったからだった。くだんのスピリチュアル優等生の友人が、「変な気などが漂ってないか」神棚を見にきてくれた際、那智大社の古いお札を見つけ、これはいずれ買った場所に戻すべきだ、と教えてくれていたのにもかかわらず、私はそれを放置したままとりあえず神棚を閉め、恐らく3年は経過していたのだ。
それで。今回スピリチュアルになってみようと思いついた私はゲストハウスに泊まっている、ホコリアレルギーだと言うお客さんに恐縮しながら頼んで、神棚の中から目についた札らしきものを取ってもらい、持参してきていたのだ。
参詣に持って行こうと荷物の中から持参したものを車内で確認。はたして。それはお札ではなかった。確かに、那智大社、と書いた紙袋だが、中には箱。そして、中を開けると、空っぽだった。
どうやらそれは、お守りの空き箱だった。記憶を辿る。すると、ゲストハウスとしてオープンしてからもしばらく玄関に吊るしてあったままの、前住人の置いて行った「夫婦円満」のお守りのことを思い出した。(その夫婦が結局離婚したことはとりあえず脇に置いておこうと思う)
そうだ。私はそのお守りを、燃えるゴミ袋に捨てたのだ。
しかたがない。それでも持って行ってみよう。よくわからないけど。きちんとした感じの薄紙の袋に入ったその箱は、やっぱりなんだか捨て難いものではある。ぜんぜんよくわかんないけど、売店の人に聞いてみよう。
※1 白い表紙の暦表みたいな本 : 恐らく、「神宮館高島暦」だと思われる。「こよみの神宮館オンラインショップ」によると、「神宮館創立以来、伝統の暦術の上に経験と厳密な研究を加えつつ、進歩発展する社会情勢にあわせ、古くから伝えられてきた多くの知識を豊富に収載し、毎日の生活上に利用できるようにしたもの」とある。神宮館は明治41年から暦の印刷と販売を行っている出版社である。
※2 神社への参詣は4時頃までに済ます : 人気風水師、李家幽竹氏によると、「神社へ訪れるのは、早朝から午後2 時までの「陽」の気が強い時間帯がベスト。とくに午前中は気が生まれるので、運気の吸収率も高まります。遅くても午後4時までには鳥居や門に入るように心がけて。それ以降は「陰」の気が強くなり、運気を吸収しにくくなります。ただし、夜祭りや大晦日、ライトアップされているなど場所の気が稼働しているときは、午後4時以降に訪れても問題ありません(引用元:madame FIGARO.jp)」とのこと。なるほど、気、か。気ってそもそもなんだ?
※3 唐松観音:最上三十三観音曹洞宗 唐松山 護国寺。「山形県公式観光サイト」によると「平安時代に平清水の住人・森山某の妻が戦死した夫の冥福を祈り開山したといわれる。また、京都一条殿の豊丸姫が旅の途中で当地に住む炭焼き藤太と大恋愛の末結ばれ、末永い幸せを願って観音像を洞窟に安置したのがはじまりという説もある。京都の清水寺を真似て建立したお堂は山の中腹にあり、眼下に山形市内を望める。」とあり、御利益は「諸願成就(なんでも願い事が叶う)」のだそう。そんなありがたいものが実家のそばにあったなんて。
また、三十三観音信仰とは、同サイトによると「観音様は参拝者の願いに寄り添い三十三の姿に変身し、人々を救うとされていることにちなんで三十三か所の観音堂をお参りし、二世安楽(現世と来世の安楽)を願う巡礼が古くから行われてきました。観音巡礼は全国各地に見られ、最も古く代表的なものとして今からおよそ1300年前、奈良時代に開かれたという西国三十三観音が有名」とある。ずいぶんと由緒正しき信仰らしい。バスに乗って大勢やってきていた老人たちは、この三十三観音巡礼を行っていたのだ。ありがたいやら由緒正しいわ、そりゃあお参りするわけです。全く知らなかった。
いよいよ参拝
駐車場を出て、ソフトクリームやお土産を売る店沿いの細い道を歩くと、大きな杉の間の立派な鳥居に着く。
人の流れに沿って鳥居をくぐり、立派な石段を下っていく。石段を降りると、おお、これが那智の大滝か。やはりすごい!まちがいなく美しい、かっこいい、壮麗、ダイナミック、エクセレント、トレビアン。そして、滝の頂上のしめ縄が、その神聖さを、ビシッと、こちらに宣言してるような感じ。いやーすごい。
次男は「なんだか枯れてない?3本に分かれている」などと、まるで本来の姿を知っているかのようなことを言う。初めて見たのになんで?というと、動画で見たことがあるのだとか。なんだ、この子は初見ではなかったのかと、ちょっと残念に思った。
滝の前には賽銭箱。その前に煙が上がっているのは線香を立てる場所なのか?なんて思ったら、「お清めの護摩木※1」と書かれている。
よし、スピリチュアルなことをしにきてるんだからここはやるでしょ。100円を払い、しかしここは大人なので次男に託し、願い事をさせ、燃やさせる。
もう100円出せばいいのだろうが、
「そもそも、御利益を受けようとすることってスピリチュアルなのか?いや、なんだかむしろ真逆な行為のような気がするのだが」などと頭の中で言い訳した。つまり、私は100円を出し渋ったのだ。
木の前には立派なカメラを持った男性が記念写真を撮影するとして、通る人通る人に声をかけていた。これはスピリチュアル系ではなさそうだ。この日の私の目的とは違う、と思い、安心してスルーする。
私が見たところ、誰も有料の記念撮影を利用してはいなかった。滝の前の賽銭箱の前で、お参りをしてからそれぞれのスマホで記念撮影をしていた。一眼レフでの記念撮影サービスなど、今後生き残れるのだろうかと思う。「落差113m、世界一の高さです」と繰り返し呼び込みしている男性が少し気の毒になる。
賽銭箱の後ろ、石の柵の向こうの神域なのだろう場所の地面に、びっしりと敷かれた白い石が清々しい。このような環境を整える人の大変さを思うと頭がクラクラし、恐れ多い。背筋が伸びる感じがする。もしかして、これが参拝することの効果なんじゃないのか。きれいにしている友人の家を訪れたあと、部屋の片付けに目覚める、みたいな?
二礼、二拍手、一礼※2だっけ?調べたはずだが忘れてしまった。確か何通りかあったはずだから、と気にせずお参りする。
そして、息子に5円。私は50円の賽銭。賽銭は、穴がある方がいいって聞いたことがある※3。
長男の受験のことやら、あれもこれもとお願いし、一礼して目を開けたら次男に、「ちょっと長過ぎない?」と言われる。そうです。結局は御利益、受けたいんです。
さあ、お参りは済んだぞ、と安心していたら、売店※4の奥の方に立て札があり、「御瀧拝所舞台」「延命長寿の水」「御瀧本祈願所」「神霊石」参入料金料、大人300円小人200円、と書いてある。
え!まだあるの?しかも、ここからはお金がかかるの?でも、滝の水が汲める?容れ物は別途、500円、、、。とりあえず、見なかったことにして、次男の念願のおみくじを引く。ていうか、私も実はちょっと楽しみだった。大吉だったら良いなあ、、、。
番号札の番号を売店の女性に告げると、お子様が〇番ですね、と確認される。すると、子どもには子ども用のおみくじが渡された。
そうだ、大事な用事を済まさなければ。
「あの、これ、たぶんお守りの箱なんですけど、中は空なんですよね、、、」とおずおずと持参した空き箱入りの箱を差し出すと女性は少しもおかしがる様子などなく、「はい、お預かりします、お焚き上げいたしますね」と言って受け取ってくれた。よかった。なんかすごい大丈夫な感じ。絶対、変なことにはならないって感じ。正直ほっとした。
息子は、ずらりとならんだお守りに引きつけられ、自分の干支であることもあり、龍が描かれたお守りを買うことにした。
「初穂料、800円お納めください」
赤いお膳みたいなのでお金をやりとりする。代金とは言わないんだな、と思った。息子の買ったお守りは、先ほど女性に渡したのと同じ袋に入っている。これをまた、持ってこなければならないのか、、、。
※1 護摩木 : 「西新井大師」ホームページによると「護摩木は仏様へのお供え」とある。しかし、私が行ったのは、確か神社、、、。混乱してくる。しかも「一本一本にお名前とお願い事を皆様ご自身でお書きいただき、奉納されたものが当山の護摩祈願(炉の中に護摩木を井桁に組み上げて焚き、〜中略〜、除災招福、開運厄除の成就をお願いする秘法)に使われる」とある。私たちはただ護摩木を買い、すぐに燃やしたのだが、あれでよかったのか?
※2 二礼、二拍手、一礼 : 「靖国神社」ホームページによると「拝礼の作法は本殿内・拝殿前ともに二拝二拍手一拝」だそう。
※3 賽銭は、穴がある方がいいって聞いたことがある。:「神社ch」によると、賽銭に5円や50円は穴が開いているため、見通しが良いので縁起が良い、だとか、ご縁=5円だとかの説は「無意味なので今すぐやめましょう!」とある。そして、「お賽銭の最適額は自分にとって少し痛い金額」だとも書かれている。自分にとって少し痛い金額をお賽銭として使わなければならないとすると、私はスピリチュアルにはなれないかも、と思ってしまう。スピリチュアルになろうとして、結局は自分のケチさを思い知る結果になるだけなのか、と、ちょっと挫けそうになる。
※4 売店 : 調べてみると神社でお守りを「受ける」場所は「授与所」というそうだ。売店とは呼ばない。そして、あくまでもお守りは「買う」ものではなく「受ける」ものなのだ。
やっぱり気になるおみくじの結果
さて、開いたおみくじは、次男は大吉。私は小吉だった。
次男は大吉に喜んだものの、すぐに、「子どもみくじだから全部大吉なのかな?」と疑ってかかる。ごめん、息子よ、いらぬ猜疑心を抱かせて。非スピリチュアルな母親を持つことの弊害を感じる。
その後、おみくじを結びつけるところで透けて見えた他の子どもみくじが小吉だったのが見えて、息子はほっとした様子だった。
ところで、小吉は吉より良いのか?※1息子に言われてその時は確かに、と思った。吉が小さいのか、それとも、吉よりちょびっと吉が多いのか?
私の小吉のおみくじには、「身につもる祠の罪もあらなれて こころすみぬる三かさねの滝」という西行法師の歌が書いてある。なんでも、「罪の重なるこの身ではあるが、3本になって降る滝のやがて1つのきりとなって、、、」ということらしい。
3本の滝!?まさに、今日の滝のことじゃないのか?これは、シンクロニシティ※2とかいうやつなのでは?スピってる??
じゃあこの、罪っていうのは、、、。いやあ、思い当たる節しかない。お守り捨てたとか、それだけじゃない。
やっぱり、いままでの非スピリチュアルな所業を指摘されているのか?
おみくじのお告げの内容は、はっきり言ってよくある説教だなと思ってしまったが、3本の滝のくだりは正直かなりひっかかる。それだけに説教に信憑性が増したようで、おみくじをそそくさと結びつけた。(息子が「母ちゃんの隣に結ぶ」と言ったのがかわいかった」)
「御朱印もらってくる」と言いながら売店奥の方に入っていく男性を横目に見て、そうだ、そういうのもあるんだった、とは思ったが、今回は入門編ということで、御朱印はまたいずれ、と考えることにした。
しかし、である。先ほど見なかったことにした、「滝お参り」こそがいわゆる、御本尊的なやつなのか?
スピリチュアルな行動をすると決めたのなら、入るべきなんでしょう。
入り口で1000円を赤いお膳に差し出し、水は汲まないので500円のお釣りをもらって門をくぐる。(リュックに水筒が入っているからそれに汲んだらだめかなと一瞬考えてしまう)。
門をくぐったところは手水のようになっていて、水を飲むための白い杯がたくさん並んでいて、100円と書いてある。
わあ、またかと正直思ってしまい、まずは1回素通りし、奥に進んで滝に近づく。たしかに、最初にお参りした場所よりは滝を間近に感じられる。息子も、滝を自分でカメラに納めたいと、私のカメラを借りる。わあ、かっこいいなあ。と私も声が漏れてくるものの、正直飽きてきている自分を感じていた。もしかしたら、私のテンションのピークはおみくじだったかも、、、。
さっきの白い杯のところに戻っても、奥の方に上っていく道が見えたし、またなんかあるのかな、などと考えて面倒臭くなっている。周囲の人はスマホで動画を撮り続けたり、さらに滝に近づける台にまで登って撮影したりしている。きっと私には感じられない、スピリチュアルなものを感じているのだろうな。靴やバッグまで全身真っ白な装束で1人参拝しているらしき女性もいる。すごい、あんな装束どこで手に入れるんだろう。それともパナウェーブ※3か?違うか。失礼か。て言うか古いか。私とは反比例してテンションが上がってきた息子に伴われるように、そのまま進むと小さな祠のような建物に突き当たる。ふむふむ、どうやらここが御瀧本祈願所ね。賽銭箱のあるスペースの前に、2012年の洪水の際に出てきたと言う「玉石」も祀ってあった。串本に引っ越してきてすぐに借りた家の神棚に、まん丸の石が供えてあったのを思い出す。こういう玉石を祀る習慣※3って熊野地方のものなのかな。
本祈願所の賽銭箱は息子も私もノーコメントでスルー※4し、また歩き続ける。立派な石段。そして、立派な木。そして、ちょうど良い散歩道だ。
「歩くから、いいよね」とおもむろに息子が言う。たしかに、ほんとうにそうだ。そして、こうやって息子と言葉を交わしながら歩くのがまたいい。
そう広くはないが、勾配があり、カーブをつけて巡らされた道や石段でできた参詣コースは運動不足の私たちにとってはなかなかにいい運動だ。スピリチュアルを心がけると、運動不足はあるいていど解消されることは間違いなさそうだ。そして、会話も弾む。
ここまでやればさあ、帰っていいだろう、と来た道を戻り、トイレに寄ろうとしたところで護摩木をくべる場所の近くに手水らしきものを見つけた。
スピリチュアルに疎い私でも知っている。参拝の前には手を洗って、口をゆすぐもののはず。すっかり見落としていた。でも、ずいぶんと小さい、目立たない手水だ。写真撮影の人ばかりが目に入って、全く気がつかなかったし、周囲の人も手を洗っているようには見えなかった。
まあ、偉大な那智の神様は許してくださるだろう。
先ほどは下ってきた石段を上って入り口に戻る途中、補助具をつけ、細い足をした男の子が、「81,82,83,,,」と数えながら手すりを頼りに、一歩一歩と石段を降りていた。私たちの参拝はどうあれ、彼の参拝は間違いなく、御利益があるし、そして御利益があってもそれは、スピリチュアルじゃないとかは絶対言えないな、となんとなく思った。
入口の鳥居まで戻り、「あれ、そういえばお辞儀とかするんじゃなかったっけ?」と息子に言われて思い出す。そうだ、鳥居をくぐる前にはお辞儀だ。帰る際にやっとペコリと一礼し、改めて鳥居の脇の石碑を見ると「飛瀧神社」と書いてある。もしかして、ここは那智大社じゃ、ない?
やはりそうだった。私たちが参ったのは那智大社じゃなく、飛瀧神社なのだ。よく見れば鳥居の上の看板にもそう書いてあるじゃないの。その上、帰り道には、「青岸渡寺」との看板も。寺があるのを見落としたって言うんだから、やはり、今回は正真正銘のスピリチュアル入門篇だ。神棚にあるはずのお札と、息子のお守り袋を持って、また那智に来なければ。
その後、1時間半ほどの帰り道、普段のお出かけならすぐに、お腹すいたーと言って何か買いたがる次男は、私の持参した焼き菓子を食べただけで後は家まで何も買わずに我慢してくれた。賽銭だの参拝料などを何度も払う私の財布が心配になったのだと言う。私もそれならばと、家まで余計な買い食いをせずに帰った。スピリチュアルになると、もしかしたら食べ過ぎも防止できるかも?なんにせよ息子は帰り道何度も「楽しかった!」を連発してくれた。それだけでも十分、スピリチュアルに行動して良かったかも。
※1 シンクロニシティ : 明治大学情報コミュニケーション学部教授、メタ超心理学研究室、石川幹人氏によると「シンクロニシティは『共時性』とも訳され、複数の出来事が非因果的に意味的関連を呈して同時に起きることである。シンクロニシティの正確な理解は難しい」とのこと。学者の先生が難しいというのであれば、、、深く考えなくてもいいか、と思ってしまう。
※2 パナウェーブ : wikiによると、「パナウェーブ研究所は千乃裕子を代表とする千乃正法会という宗教団体の一部門」であり、同団体が人体に有害と考える「スカラー電磁波(仮説的な電磁波の一種)から身を守るために有効という白装束を身にまとっている」とされている。もちろん、私が飛瀧神社で見かけた女性の全身白づくめの衣装はスカラー電磁波を防ぐためではないだろう。
※3 玉石を祀る習慣:『日本考古学』などの著作がある佐藤虎雄氏の『玉置山における玉の信仰』には「玉は元来身体装飾品であるが、我が国民はこれに霊威を感じ、神祇(天と地の神)にまつり、祈願に納め古墳に副えて葬つた。その他わが国民の信仰方面によく用いられ、わが国民思想の発展に寄与しているところが多大である」とある。玉石が国民思想の発展に寄与している?まさかそこまでのこととは思わなかった。
※4 本祈願所の賽銭箱は息子も私もノーコメントでスルー:「神社ch」によると、「最終的に社務所へ1つにまとめられるため、1回お賽銭をすればOK」とある。こういう説は積極的に採用したい。
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