「きょうみた夢のはなし」をするわたし | 金曜日のひとりごと
あさ目覚めたときに、ついさっきまで自分が漂っていた物語の記憶をたどってみては「すごい夢だった」「悲しい夢だった」「夢でよかった」とか、いろいろな思いが頭の中をめぐる。
現実ではないものに、どれくらいの意味があるのか。
とは思いつつも、印象的だったものはすぐにネットの夢占いを確認する日もある。でも、わたしは占いはいいことしか信じないから、この確認にだって何の意味があるのか……?
眠っている間にみている世界は、わたしにとってはあまり意味がないかもしれない。
でも、困ったことに人に話したくなるのだ。
「きょうみた夢のはなし」を人にするのが困ったことだと知ったのは、割と最近。友人夫婦たちと集まってご飯を食べていた日に話題になったのだ。
「あさ、起きてからすぐに夢のはなしをされても、こっちは同じ夢をみているわけじゃないからよくわからないし、どんな反応をしたらいいかわからない」
という内容だったと思う。大きく頷いていた夫の隣で、わたしはこれまで幾度となく繰り返してきたあさの会話を思い出して「夫も同じ感情だったのか」と衝撃を受けた。
わたしが興奮気味で夢のはなしをしても反応がないときは「聞こえてないのかな?」と思って、もう一度同じ内容を繰り返すこともあった。
いくつものそんな記憶が一気によみがえってきたわたしの頭の中は地獄だった。
はずかしいのと、後悔と、あとはもうよくわからない感情でいっぱいに。
「あ、わたしも起きてすぐに夢のはなししてた」と白状すると、「はなすがわ」の理由が今度は話題になったが、まあとにかく自分にとっても相手にとってもあまり意味がないことが明確になっていくだけだった。
強いて言えば、感情が整理されるとか、なにかを共有したいとかそんな感じだったけど、しばらくしたら自分ですら夢の内容を忘れていってしまうんだから。
その日から、あさ目覚めてから夢占いを確認することは減った。自分の中では記憶にあるかぎり物語をたどることはまだある。でも夫にその内容をはなすことも少なくなった(ゼロではない)。
あと変わったとしたら、夫が夢のはなしをたまにするようになったくらいだ。
めったにあるわけではないけど、そんなとき、わたしはうなずきながらはなしを聞いている。