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2024年にしたこととやめたこと、もろもろ

2024年は自分の中でもいろいろと気持ちや行動の変化があった1年だったので、そのときのことを思い出しながら振り返ってみたい。

1月:いちばんエネルギーを使った

地元にあった貴重な木造校舎が取り壊されると知ったのが一昨年の12月ごろ。大学時代に建築を学び、ふるさとで新聞記者をした立場として見過ごしていいのか?と思い、1月は建築の専門家や行政、卒業生など地元住民らへ取材をしていた。

あくまで投稿記事として書くつもりだったので、取材費も原稿料もない。とっくの昔に「記者」の肩書きをなくした自分がどこまでできるのか不安は大きかったが、多くの人の協力を得てなんとか5回の連載として古巣の新聞に掲載させてもらった。

最終的に校舎は昨年中に解体されてしまったが、貴重な天然秋田杉の材は地元住民が管理する神社の休憩所に再活用する方向で、解体業者の協力があって譲渡された。

当初、建材の再活用は計画に含まれていなかった。何年も前に行政との話し合いで解体が決定された後から、住民の方たちがもう一度声を上げるのにどれだけ勇気がいっただろうか。あの校舎の価値を伝えるために協力してくれた方たちや、署名運動に賛同してくれた人たちがいたことで、地域の歴史がこれからにつながったと思っている。

この取材と執筆で1年分のエネルギーを使ったのではないかと思う。

2月:節目の旅行

2月は結婚記念日があり、毎年それにあわせてどこかに出かけている。2024年は一泊二日で金沢を訪れた。

兼六園、金沢21世紀美術館、長町武家屋敷跡、主計町茶屋街、柳宗理記念デザイン研究所、近江市場などを徒歩と公共交通機関を利用してぐるり。

夫、金沢21世紀美術館にて。

目的地周辺で気になっていた雑貨屋さんやカフェ、地元密着な酒屋さんなどにも行けました。

観光地でも飲食店でも、お店の方から聞いたのは能登半島地震で被害が大きかった地域の生産者の方々のこと。この時、金沢に行った目的でもあったので少しでも応援になればと地元で作られたものを選んで買ったり食べたりしました。

結婚記念のお祝いとして食べたお店や泊まったホテルはこちら。

3月:秋田から家族が東京へ

母が65歳を迎えて退職し、時間ができたということで両親が発起人となり兄家族を含めて7人で東京に来ることに。

オーバーツーリズム真っ只中の東京では、大人数での移動がなかなか大変。両親から「行き先は任せるよ」と言われたので、事前に私たち夫婦と兄夫婦でグループラインを作って観光する場所や宿選びのために相談を重ねた。

それによって事前に移動のイメージを共有できたのもよかったかも。
旅行で回ったところについてはこのnoteに書いています。

4月:不妊治療を再開

保険適用になった2022年5月に本格的にはじめた不妊治療。人工授精5回、体外受精にステップアップし、採卵1回、凍結胚移植3回まで終えたのが2023年5月。

凍結胚のグレードはどれも悪くなかった。それでも一度も着床することなく、凍結していた受精卵がなくなったところで、私のメンタルに限界がきて「しばらく休みたい」と夫に申告。その翌月に夫が交通事故にあった。

大きな事故だったのでまずは何よりも夫の治療が大優先。ただ、入院中の段階からいずれ不妊治療は再開しようとお互いの意思を確認していた。

夫の退院と職場復帰を経て、生活が少しずつ落ち着いてきたタイミングで、再開を迎えたのだった。

2022年に治療を始めた時は32歳。「医療の力を借りればきっとなんとかなる」という考えもあり、積極的に情報収集をしていなかった。

しかし、体外受精には保険適用の回数に上限がある。2024年は35歳になる年でもあり、年齢的なタイムリミットも意識せざるを得ない。

治療再開に向けて残りの3回を悔いなく行うために、年齢が近く、同じくらいの治療段階にある人の経験談や、専門医が解説するYouTubeなどを見るようになっていた。

治療や検査の選択肢にどんなものがあるのか、自分の生活で変えられることはないかを調べたのだ。それらを知った上で自分が通っているクリニックでも受けられる先進医療があるか、保険適用内で可能な治療なのかなど、質問をして相談しながら計画を立てられた。

いろいろな人が発信する情報に励まされたり、知らなかった選択肢を知れたりしたので、いずれ私の経験もまとめてみたいと思っている。

5月:朝活で映画館行ってみた

高校時代、バレー部だった友人と3人で「ハイキュー!!」の映画を見に行こうという話になった。

上映期間の終盤だったこともあり、上映している映画館が少ない。時間の選択肢も少ない……。「その日の最初の時間にして、お茶でもして解散しましょうか」となったのだが、これがとても良かった。

休日の早い時間とあって、道中の電車が混んでいない。映画館も人がまばら。作品に集中できて3人してポップコーンを食べながら泣いていた。終わってからは映画の感想を言い合ったり、高校時代の思い出話が盛り上がりながらもポップコーンでお腹がいっぱいだったので、お茶をしてさらりと解散した。

午後からは各々家族と過ごせる。家のことができる。1日が長い。

というので、同じメンバーで秋にも朝活映画鑑賞会をしている。その時はなんとシアターに3人だけで貸切状態。2回目も満足度が高かったので、これからも開催したい。


9月:友人のウエディングフォトを秋田で撮る

高校の友人に1年ほど前からウエディングフォトの撮影を依頼されていた。友人の父が田んぼをやっていて、稲刈り直前の黄金色の田んぼの中で写真を撮りたいのだと聞いて、「なんて素敵なんだ」と二つ返事で引き受けた。

友人は、結婚を機に海外へと引っ越していた。撮影のために夫婦で日本に来るということで、天候を考慮して予備日も設けつつ私も秋田へ駆けつけた。

せっかくなので思い出の場所や景色のいい場所もまわりながら2日間の日程で撮影した。1日目、車で二人を迎えに行った時には土砂降りだったけど撮影場に着くと見事に雲が晴れていた。

眩しいくらいの夕陽の中で二人を撮影できて、私にとってもいい時間だった。

10月:ねぎらいの旅行をしてもらった

夫が事故後のもろもろのことをねぎらうために、「行きたいところに連れていく」と言ってくれた。

私からしたら、連れて行ってはもらうのだけど二人一緒に頑張ってきたご褒美の旅行という気持ち。

行き先は沖縄。いつか行きたいと思っていた南城市の「mui」。

いつか行きたいと思っていた場所に自分がいる、と感動

キッチンのあるお部屋だったので、地元の食材を買ってきて晩御飯を作って食べた。いつもは旅行先の街でいろいろと巡るのだが、この時は車を借りず宿での時間やその周辺散策を楽しむことに。

美味しいものを食べて、素敵な空間でのんびりして、改めて夫とゆっくりいろんな話ができ、充実した旅だった。

この1年でやめたこと

具体的な時期がはっきりしないのだが、やめたことというのもある。

1つは髪の毛を染めること。

数年前には金やピンク、青、シルバーとたくさんの色で変身する自分を楽しんでいたのだけど。

私は小学生の頃から白髪があり、高校を卒業した18歳からずっと髪を染めてきた。髪色を楽しんできたのだけどふと、「本当の今の自分の髪ってどんな感じなんだろう」と思うようになった。

まだ地毛を伸ばしている途中で、すべてが地毛になる前に「やっぱり染めたい」となる可能性は大だけど。白髪姿の自分を受け入れるのはなかなかすんなりとはいかないもので。でも伸びてきた地毛はつやつやで生きてる髪という姿をしてる。

今のそのままの自分も楽しみたい。

何かをするのもやめるのも、どっちからも得るものがある

なんとなくここ数年は、目標を見つけて何か行動してみることが多かったように思う。「変わらない」はダメなことのように考えていたところもあったし、「やめる」のは後退・衰退していくような気がして怖かった。

2024年は、肩の力を抜いて、今どうしたいかを考えてその方向を調整した1年だったように思う。まだ定めきれていない部分もたくさんあるけど、急がなくてもいい決断は今しなくていいことにする。

そういえば、以前は自分の悩みや辛いことをすぐに誰かに言う性格だったけど、慎重になってあまり言わなくなった1年でもあった気がする。

方向性が定まっていない、自分でもどうなるかわからないことを晒して、何か落ち込むような言葉をもらうんじゃないかというのが怖かったのかもしれない。それで紙のノートに日記をつけ始めたのが10月で、そうしているうちに毎月のnoteの連続投稿は途絶えてしまった。

でも最近、少しずつまた人に話すようになった。自分の中だけでは想像できなかった角度から希望をもらえたり、すくいあげてもらったりしている。私の周りに今いる人たちは私が思っているような怖い言葉を言う人たちではなかっただけということなのかもしれないけど。

やめたことのなかからも、また気づきを得た1年だった。

2025年は、したいこともやめたいことも大事にしていきたい。

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Koimizu Shiori
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