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ランジャタイ国崎で生きるっ!生きるっ!生きるっ!
泣いた。
まじで泣いた。
夜3時、寝れない布団の中。
私の顔面を照らすブルーライトの光。
布団に入った時は冷えきっていたつま先も、
今はほかほかして、
布団を少し蹴り飛ばすくらい。
泣いた。
まじで泣いた。
嗚咽して泣いた。
ランジャタイ国崎に泣かされた。
たまに思うんすけど、地球上の人間が毎日一分一秒いろんな感情を持って今を生きているの、えぐない?すごない?
人よりも感情の種類が多いのか、もしくは皆こんなたくさんの感情を自分で認識しているのか??
幼い頃から、いつも自分の感情が多いと思って生きてきた。
わたしは感受性が豊かだと思った。
よく泣く。
悲しいんじゃなくて、感動して泣く。
感動どころじゃなくて、言葉に表せない
もしかして言葉として存在しない、
複雑に絡み合ってる感情って数多あると思うけど、そんな時泣く。
小3の時に初めてみたもののけ姫は、お姉ちゃんの背中に隠れてびくびく目を逸らしながらじゃないと観れないくらい怖かったけど、
中学2年の時に久しぶりに見たら、胸打たれすぎて涙が止まらなかった。
な、、、何だこの物語は、、、、
何だよこの作品は、、、
なんだよこんな美しい映像見させられて、、、、
とんでもない音楽聞かされて、、、
ふざけんなよ、、、、
やめてくれよ、、、、
人は愚かで美しい、、、
生きるってどういうことだよ、、、
こんなこと私に伝わってこないでくれ、、、、
思春期真っ只中のわたしに、“生命”を考えさせたのはもののけ姫だ。
そのあと金曜ロードショーの再放送を録画してビデオに焼いて、何回も何回も見たけど、
オープニングの「もののけ姫」のタイトルが出る時の音楽!
最初の一音目、オーケストラが一斉に奏でる低音の一音目。
最終的には最初のあの一音で泣けるようになった。
大学生の時は、踊ってばかりの国の全感覚祭のYouTubeで涙が止まらなかったことがある。
あの空間にいた人は、皆キラキラと天に召されそうな雰囲気だった。
美しく、バンドの向こうで、みんなを最後まで照らしながら暮れていく夕焼けに、
少しチューニングのズレた下津のギターの音に、
自然の空気に溶けていく音色に、
あまりに綺麗で儚くてもろい、
危なくて力強い美しさに、
涙が止まらなかった。
それ以来だよ。
泣いた。
まじで泣いた。
夜3時、寝れない布団の中。
私の顔面を照らすブルーライトの光。
ランジャタイ国崎に泣かされた。
ランジャタイ国崎のnote「じいちゃん」
何だこの人は、
何だこの才能は、
いや、才能どころではない。
何この
表現力。。。
生き方。。。
なにこの人ずるい、、、
いつもテレビであんなにふざけているのに??
こんなまっすぐ少年のように生きているのに??
なのに常識人で、お笑い戦闘能力バカ高いのに???
文才もあるのか???
なのに何だ、
情景描写がうますぎないか、、、、
初めてなんだよ、情景描写で泣かされた、、
noteの‘行間’の使い方が、
その言葉が、
国崎が喋っているかのような生の空気を纏って、
布団の中の私にまで、
空の青さが眩しく、
草が香り、
風が吹く、
おい、わたしは富山に行ったことなんてないぞ、
なんでだよ、
何でここまで生々しく伝わるの、、、
何でここまで人間の心が美しくみえるの、、、
何だか今、ランジャタイ国崎の、この感動を忘れないうちにnoteを書こうと思ったけど、
真面目に書けば書くほど、なんか、違うかも。
なんか悔しい。
なんか真面目に書いたら違うわ、これ。
もうやだ、
気がついたら、国崎のエッセイも買ってたわ、、、
何やねんな、、、
なんだよ、、、
この前、「永野&くるまのひっかかりニーチェ」で、永野が言ってたよね。
ランジャタイ国崎のファンは、
「(甲本)ヒロトみたいな目で国崎を見て
生きるっ!!生きるっ!!!生きるっ!!!」
ってなってるって。
あれなるわ。
しゃあないわ。これ。
国崎のあれこれを見るたび読むたび、
なります。
今私完全に、
生きるっ!!!!!!!!
ってなってます。
悔しいぜ。
4ヶ月休職して、
人生悩みに悩みまくっていた私、
元気になりました。
適応障害吹っ飛びました。
国崎さんのおかげです。
特効薬すぎました。。。。