汚れた手をそこで拭かない 読解①
はじめまして。本を愛して三千里、瀧廉太郎です。
日々の読書の記録を細々と記していきたいと思います。
初回の読書記録は、芦沢央さん著「汚れた手をそこで拭かない」。
本作は五つの短編からなる短編集です。今回は一話目「ただ、運が悪かっただけ」を読解していきます。
主な登場人物
十和子(主人公)
56歳。末期がんで半年の余命宣告を受ける。過去に理屈っぽい性格が原因で、実父や義母から嫌味を言われた過去をもつ。
十和子の夫
高校を卒業後、町大工として働き、のちに建具職人となる。町大工として工務店に勤めていたときに「人を死なせた」らしい。
中西茂蔵
71歳。俗にいうモンスタークレーマー。妻に先立たれ、一人で暮らしている。
中西の娘
外国人との結婚を父から差別的に反対されたことが原因で、父と縁を切る。病気で余命宣告を受けたこともあり、死ぬ前に一度と思い、20年ぶりに実家を訪れる。
あらすじ
一年前の健康診断で半年の余命宣告を受けた十和子。自らの死期が近いことを悟りながら、ときおり、夫が悪い夢でも見ているかのようにうなされることを気にかけていた。子どももなく、何も残せない自分を不甲斐なく思い、であれば「私があちら(あの世)に持っていきましょうか」と尋ねると、夫は、「俺は昔、人を死なせたことがある」と語りだす。
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夫が高校を卒業した後、光村工務店に勤めて五年目の話。顧客である中西は注文の頻度こそ多いが、内容は単なる得意客へのサービスを求めるようなものであること、仕事へのいちゃもんをつけること、くだらない自慢話や娘への愚痴話ばかりすることもあり、従業員から煙たがられていた。
ある日、宝くじに当選し羽振りの良い中西が、二階の二部屋を潰して居間の中心を吹き抜けにするという大掛かりな改築工事を依頼してくる。いちゃもんをつけられながらも無事工事を終えるが、引き渡し後すぐに「吹き抜けの電球がついていない」との苦情の電話が。脚立をもって中西宅へ向かい、玄関から入るために脚立をたたんで、ぶつからないようにゆっくり入る夫。その姿にいちゃもんをつけられながらも、無事に電球を取り付け終える。その後「その脚立を買いたい」と言い出す中西の強い態度に押され、脚立を売り譲ってしまう。
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半年後、絶縁していた娘が顔を見せに実家に帰ってくる。余命宣告を受け、父との関係もこのままでよいのかと思い直し20年ぶりの帰省をすると、実家が吹き抜けのある全く別の姿に変わっていた。父が自慢げに家を案内すると、吹き抜けの電球が切れていることに気付く。工務店から買った脚立は、伸ばしたまま屋外に雨ざらしの状態になっていた。娘が家に運び込み中西が脚立に上ったところ、錆びて破損した踏ざんを踏み、落下して死亡してしまう。
この物語の見どころ
見どころ①「中西の歪んだ性格」
料理の提供の遅い飲食店に苦情を言い、外国人との結婚に対する偏見をもち、その娘の愚痴をもらし、工務店の仕事にいちゃもんをつけるといった悲しい性格をもつ中西。そんな中西の歪んだ性格が表れているのが「自分の幸福に対する因果づけ」である。
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【中西の主張する順序】
金持ちセミナーに参加 ⇒ 宝くじに当選 ⇒ 自宅の改築
【正しい順序】
宝くじに当選 ⇒ 自宅の改築 ⇒ 金持ちセミナーに参加
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金持ち自己啓発セミナーの教えは「善行こそが運を引き寄せる」というもの。つまり、妻に先立たれ、娘にも縁を切られ、一人で面白みもなく善行とは程遠い人生を過ごしているといっても過言ではない中西は、「自らの幸運は自らの善行によるものである」という虚偽の因果付けをして、自分の人生を正当化している。
見どころ②「娘による未必の故意」
当時は単なる事故死として処理された中西の死。しかし夫の話を聞いた十和子は、理屈っぽい性格ゆえにある真実に気付く。それは、「中西の娘は脚立の破損を知っていたにもかかわらず、父親にその脚立を使わせた」ということ。
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【娘の証言】
縁側から脚立を運び入れた。運び入れる際、父はドアを押さえながら、私がふらつくのを見てニヤニヤ笑って見ていた。
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⇒ 縁側のような引き戸はドアを押さえておく必要がない
⇒ 縁側ではなく玄関から運び入れたのではないか
⇒ 玄関からは脚を伸ばしたまま運び入れることはできない
⇒ 伸縮させるときに、破損個所は必ずつかむ
⇒ つまり、娘が脚立の破損に気付かないはずがない
若くして病で余命宣告を受けた娘は意を決して実家を訪れてたが、父による虚偽の因果付けにより再度自らを否定される。
「父の幸運は自らの善行の積み重ねによるもの。つまり私の不運(病と余命宣告)は自らの自己責任。」
ーそんなに運がいいと言うのなら、助かってみなさいよ。壊れていなていない側を選んでみなさいよ。
そうして娘は、脚立の破損に気付いたうえで父を試し、結果父は脚立から落下して死亡した。
物語を読んで
現在と過去の二つの時間軸で書かれた「ただ、運が悪かっただけ」。見どころでも書いた通り中西とその娘が話の重要人物になりますが、中西の歪んだ性格に対する嫌悪や、事故死の真実に対する驚きと同等かそれ以上に、病に負けず夫の話を聞く十和子の強さに感動を覚えました。
冒頭「にげなくては、と私は思う。あれはきっと、こわいもの」。「こわいもの」というのはおそらく死。その他、死が近づいていると思われる記述がいくつか見られます。にもかかわらず病に負けず話を聞く姿に、「夫の苦しみを癒したい」という強い想いを感じました。紛れもない愛の姿。美しい。最後、十和子の死については明文化されていませんが、みなさん、安らかな眠りにつけることを祈ってあげてください。そして将来、僕にも十和子のようなお嫁さんができるように祈ってあげてください。