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土台が脆弱すぎてキャリアの積み上げようがない話

「キャリア」という言葉が嫌いだ。
「キャリアデザイン」なんて聞くとぞわぞわするし、自分も一応は働く母ではあるものの、「ワーママのキャリアアップ」だとか、「起業ママ」という話題にはマイナス100℃くらいの温度感になってしまう。

なんでこんなにネガティブなんだろう。
自己肯定感の低さを競う選手権があれば、なかなかいい線いくんじゃないかな。

生い立ちの話になってしまうが、
実母いわく、私は恐ろしく手のかからない子どもだったらしい。
静かで、あれ?居たの?と思うぐらい1人でいつまでも大人しく遊んでいる子だった。
イヤイヤ期というものも無かった、経験した覚えが無いと今も繰り返し言われる。

小学生くらいになると、2つ年上の兄が毎日烈火の如く母に叱られていた。
自分に火の粉が降りかかるのも嫌だし、とにかく干渉されたくないという思いから、勉強が出来る優等生、いわゆる頑張り屋さんになってしまった。
しかし小学校高学年にもなると、分からない問題を分からないまま放置したり、答えを見ながら宿題を埋めたり、手を抜くようにもなっていた。
誰に指摘されることもなく、自分だけが正しくない行動を取ったことを抱えていなければならなかった。

自己肯定感の低さは、何も親だけのせいでは無い。

小学校ではイジメを受けたこともあるし、高校に入ってさえ、意図的に「ハブ」ろうとしてくるクラスメイトがいた。(さすがにこの頃は他に友人もいたしどうでもよかった。)
大学は一番楽しかったけど、就活を頑張った割には内定はとれず、卒業した4月には映画館のアルバイトの面接を受けていた。

映画館ではなく、別のバイトとして入社した会社でも年上の女性には冷遇された、ただ「面白くない」という理由だったみたいだ。
痴漢に遭ったこともあれば、飲み会の帰りにレイプされたこともあった。
結局心身に不調をきたし、実家に出戻って精神科に入院、半年ほどニートにもなった。

ここまで書いて、何の話だったっけ?
キャリア?
いやむしろ「よく死ななかったね」という話だ。

「それでも結婚して子どもがいるなら幸せだろう」と言う人がいるなら、あの時のレイプ犯を送って差し上げたい。
胎児が子宮を100倍に押し広げ、膣を切り裂いて出てきても、憎悪が消え去ることはない。

自己肯定感が育たず、小学5年生の頃からはっきりと「死にたい」と考えていた。
今だって夫と激しく喧嘩をしてしまうと、頭の中を埋めるのはだいたい「死にたい」だ。

そんな私に課せられた使命は、キャリアアップとか自己実現ではない。

子どもと心中しないこと。
子どもを虐待しないこと。

これに尽きる。

幸いにも、男の子が生まれてきても嫌悪することなく心の底から可愛いと思っているし、
激しいイヤイヤで手を焼くものの、
イヤイヤ期のある子どもで良かったと安心している。

子どもに必要以上に厳しくしないこと、
放置しすぎないこと。
子どもが健全に巣立ってくれることが何よりの願いだ。

そういう訳で、キャリアの話なんかしようとするから、あらためて自分は「ボロボロのボロ雑巾じゃないか」と思い知らされる。

自分自身と、同じような傷を負った人がいたら伝えたい。
生傷をえぐって辛かったことを思い出さなくていい。まずは「無理をするな」と声をかけたい。

ツイッターや動画やネット漫画で癒されるならそれで十分で、「本当にやりたい事」とか考えなくていい。

AIが仕事を奪うとか、未来を切り開くチカラだとか言われるけど、あまり先の事を心配しない方がいい。自己責任論には耳を塞ごう。

弱者を内包する人間社会に淡い期待を寄せて、出来る仕事があるなら少し働いて貢献するくらいでいいのだ。

#自己肯定感 #MeToo  

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コイケ リコ
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