息子と動画③ -温もりとか肌触りとか-
子どもが生まれたら、絵本をたくさん読んであげたいと願っていた。
もちろん今でもそう思っているし、
市民センターの図書館に行って借りたこともあるし、たまには買ったりもしている。
でも現実には、普段ゆっくりと絵本を読んであげる時間がなかなか取れない。
朝も夜も忙しいというのは言い訳だが、
いざ読もうとすれば秒速でめくろうとしてきて、こちらの読むペースなんてまったく聞いていない。
保育園が週に一度貸してくれる本も、たいして好みじゃなければ「読んでくれるな」と怒る始末。
2歳って、こんなもんだろうか。
まだねんねの赤ちゃんの頃の方が、よっぽど絵本を読んで聞かせていた。
私も育休中だったし。
でも保育園では、先生の読みきかせを他の子と一緒に良い子で聞いてるみたいで、特別に絵本が嫌いな子どもというわけでは決してない。
家であまり絵本が読まれなくなってしまった理由
-わかっている。
-家にはタブレットがあるからだ。
絵が動いて、魔法みたいに変わって、音がでて、歌ってくれて。
こっちの方が面白いに決まっているんじゃない?
いいじゃん、動画見せたってって思うんだけどどうだろう。
絵本でなければ想像力が養われないという理由はあるんだろうか?
情緒や感性は絵本でしか養うことができない?
親が一緒になって読むしか、良質な育児とは認められない?
動画がダメで絵本はOKという方程式に私が感じるのは、
ミルクよりは母乳の方がいいとか、
紙おむつより布がいいとか、
海外製品より日本製がいいとか、
そういうものたちだ。
なんか根拠があるようで、でも人によってはどっちでもよくて、なのに自然派や天然や上質を声高に叫ぶ人たちからは圧倒的に蔑視されるような物事。
自然派な人たちが「美点」とするものとは、温もりを感じるかどうかというとこかしら。
動画も人が喋っている音声はかなりナマモノっぽいけれど。
新しいものはとかく否定されがちで、
信用されていない。
つまるところ、エビデンスがまだ無い。
2歳児からタブレットや動画に多くの時間触れてきた子どもがどのように成長するかは、これから統計されていくしかない。
だからうちの息子の場合は、
ある意味で時代の最先端かもしれないし、
ある意味、粗悪な育児環境で育った場合の可哀想なサンプルになってしまうかもしれない。
いまや中学生だって画面越しで英会話を習ったりしてるのに、頑なに時代の流れを拒んだとしてそれが何になるんだろう。
しかし一方では、
「明日から保育園では、絵本ではなくYouTubeを見せます。」と言われたら
「え、ちょっと待って」と思ってしまうくらいには私も懐疑的だ。
現在、タブレットを封印してから丸2週間が過ぎている。
最初のうちに感じた「息子の大大大好きな動画を見せない罪悪感」が少し抜けてきた。
完全なデジタルデトックスをしている訳じゃないから、テレビやDVDは見てるし、スマホに大量に保存された自分の(息子の)写真を見ては楽しんでいる。
再びまたタブレットを出すとしたら、
例えば、
ワンオペで息子をみないといけない状況なのに、私自身がインフルエンザとか胃腸炎だとかで身動きが1mmも取れないとか、そういうピンチを乗り切る時はどうかと思い至った。
伝家の宝刀といえるくらいには、動画の威力は抜群であることを自然派の人にも伝えておきたい。