まっとうなスピリチュアルと、そうでないスピリチュアルの見分け方
これから「精神性の時代」がやってくるのは間違いない。
今よりも「スピリチュアル」がさらに世の中へ浸透し、
これまでにないテクノロジーが次々と開発されることで、
新たな商品やサービスも続々と生まれてくるだろう。
しかし、いかんせんスピリチュアルは科学では証明し得ない、
曖昧模糊とした世界であるのもまた事実。
実際はスピリチュアルな世界も
厳密な原理・原則に基づいて動いているわけだが、
事実として現代科学がそこまで証明しきれてない。
そのため周知の通り、
スピリチュアルの世界は玉石混淆。
一部の優れた商品やサービスのある一方で、
サギまがいの商売もいたるところで見受けられる。
これらのまっとうなスピリチュアルと、
そうでないスピリチュアルを見極めるには、
一体どうすればいいだろう?
まず前提として、
スピリチュアルは「非論理的」である。
論理を「超えた」世界。
これが本来のスピリチュアル。
しかし多くの場合、
これらは「論理以前」の問題であり、
そもそも「論理的思考」がまったく使いこなせてない。
論理を「超えた」世界ではなく、
論理の「前段階」で成長が止まってしまっている。
論理的思考を超えた世界と
そもそも論理的思考に到達できていない世界。
両方とも「非論理的」であるのは同じだが、
かたや論理を超えた世界と
論理の手前で停滞している世界とでは、
両者の「質」はまったく違ったものになる。
それは論理を超えているのか、
それとも論理の手前で止まっているのか。
「前論理的」なものを「超論理的」なものと混同し、
まったく同じように「スピリチュアル」として賛美する。
現代スピリチュアルが
いかがわしいものとして見られてしまうのは、
この辺りに原因があるだろう。
まず「論理性」や「論理的思考」を基準に考え、
それを「超えた」レベルにあるのかどうか。
その見極めが一番のポイントで、
論理性を担保できていない場合(前論理的意識)も多くあるから
シビアな判断が求められる。
論理が崩壊しているのは問題外だが、
では「論理を超えた意識」とは
一体どんな状態を言うのだろう?
次回以降の記事では、
その点について論じたい。