「ベーシック・インカム」が実現すると世の中はどう変わるだろう?
はじめに
「ベーシック・インカム」は遅かれ早かれ実現する。
私はそう確信している。
フリーエネルギーの実用化やAIテクノロジーの発展により、労働の必要性が漸進的に低下することで、近い将来「働かなくてもいい時代」がやってくる。
しかし、それが万人にとって幸せなことかと問われれば、決してそうではなく、新たな時代の価値観やルールに合わせていくことが、これからは誰にとっても求められる。
「ベーシック・インカム」の実現はすなわち、現代資本主義の終焉を意味するだろう。
資本主義のピラミッド構造が崩壊し社会がフラット化することで、人々の結びつきや働き方がこれまでとは根本的に変わってくる。
「ベーシック・インカム」の実現は従来の延長にあるのではなく、サナギが蝶へと変容するような本来的な刷新だ。
しかし、それとてこれから興る精神文明の「序章」に過ぎず、「ベーシック・インカム」が制度化された後さらに時が進めば「無通貨時代=お金のない世界」がいずれはやってくるだろう。
『天繩文理論』(小山内洋子著 コスモ21)を著した小山内洋子女史によれば、現代はこれから2,500年続く精神文明(皇・繩文時代)への移行期にあたり、我々はまさに「ジェットコースター」と呼ぶにふさわしい激動の時代に生きている。
変化の勢いは年々加速し、雪だるま式にこれまでの制度やシステムを塗り替えることで、一時的に社会は混乱の渦に巻き込まれていくだろう。
現代は時代の過渡期にあたり、価値観や制度が従来とは根本的に入れ替わるため、そこへどのように適応すべきか。
「ベーシック・インカム」をテーマに、それを詳しく見ていこう。
第1章:好きな人とだけ付き合う
「ベーシック・インカム」の実現によって最初に起こるのは、人間関係の変化だろう。
「ベーシック・インカム」が実現すれば、イヤな奴と無理に付き合わなくても済むようになる。
生活費が国によって保障されるため「食べるために」イヤイヤ会社へ足を運び、上役や取引先に媚びへつらうようなマネは一切無用となるだろう。
「リストラ」も確実に増えるはず。
これまでは企業が「雇用」という形で労働者を養ってきたが、国が生活を保障するのであれば、もはやそうした責任を負う必要はまったくない。
遠慮や忖度なく社員を解雇できるので、企業はどんどんスリム化し利益率が改善されるだろう。
管理職の解雇も増えてくる。
日本の企業風土は「体裁」を殊のほか重視するため、分不相応に高い役職や名誉職に就いている者も多く、そうした風通しの悪さがストレス過多な職場環境の一因にもなっていることから、仮に解雇が実施されるとすれば「上から」手が付けられるケースも散見されるに違いない。
これが冒頭で挙げた資本主義社会におけるピラミッド構造の崩壊で、権威を笠に着て威張り散らすだけの無能な輩は、これから徹底的に排除されることになる。
それだけでなく、地位や役職に見合った能力を持たない者も、これからは必然的にリストラの対象となることで、良くも悪くも「ウソ」や「ごまかし」の通用しない社会となっていく。
これまではある程度勤続年数が経つと、主任や係長くらいまでは昇進できていたのが、これからはそうした「配慮」が一切なくなり、ビジネスの現場は純粋な「実力主義」の世界へと変貌を遂げていくだろう。
バブル崩壊以前は「ケーレツ」という言葉が海外でも紹介されたように、日本は会社を「家族」のように運営することで社員の生活を守ってきたが、「ベーシック・インカム」が実現すれば給与は国によって保障されるため、もはや従来の家族的意識や機能は時代遅れのものとなる。
おそらく「率先して辞める者」と「しがみつく者」に二分されるが、その過程で従来のピラミッド構造が完全に崩壊し、新たな形の階層構造が社会の中で立ち上がる。
「権威」や「体裁」や「建前」に基づく「人為的なピラミッド」が崩壊すると、次は「精神性」を基にする「宇宙本来の階層構造」に取って代わることになる。
宇宙はそれ自体3次元、4次元、5次元…といった階層構造に拠っており、『インテグラル心理学』(ケン・ウィルバー著 日本能率協会マネジメントセンター)を著したウィルバーはこれを宇宙に内在する「存在論的階層構造」と呼んでいる。
これはいわゆる「価値の階層」とも言い換えられ、「次元」はそのまま「精神性」に置き換えられることから、「精神性の高低」に基づく新たな社会階層が出現することになる。
宇宙が次元の高低による階層構造に拠っている以上、この世界に本来「平等」はあり得ず、資本主義に基づく「人為的なピラミッド」が崩壊することで、宇宙の本質に近い形での「価値の階層」が厳然として立ち上がる。
これは例えると、「高速道路を走る車」と「一般道を走る車」の関係性に似ている。
前者と後者は、決してすれ違うことがない。
「高速道路を走る車」は「高速道路を走る車」と、「一般道を走る車」は「一般道を走る車」としかすれ違わない。
精神性の高い者は高い者同士で、低い者は低い者同士でしか互いに接点を持たなくなり、ス
ピリチュアルの世界で言うところの「二極化=多極化」が加速する。
これまでの「人為的なピラミッド」の下では、精神性を問わず現世的な地位や役職を基に社会が構成されていたため、多くの場合「大人」である精神性の高い者が寛容を示すことで、精神性の低い者を「縁の下の力持ち」として支えてきたが、「ベーシック・インカム」が実現すればそうした関係性も終わりを迎えることになる。
そのため「好きな人とだけ付き合う」というより「精神性が同程度の者としか付き合えなくなる」といった方が実際は正しく、「ベーシック・インカム」により「経済格差」が是正されると次は「二極化」が加速することで、人の往来に抜本的な変化が生まれるようになってくる。
バーチャルも含め、あらゆる領域に様々なコミュニティが立ち上がることで人間関係の刷新が図られるが、これからは「道徳性」や「精神性」といった人間味に魅かれて人が集まるようになるだろう。
人為的なピラミッドの崩壊に伴い、これまで「ステータス」とされた地位や身分が形骸化することで、旧態依然とした価値観にとどまる者からは次第に人が離れて行く。
結局のところ、人が集まるところにお金も集まるようになるため、社会の様相も「ベーシック・インカム」が実現すれば、今とは全く違ったものになるだろう。
徹底的にムダが省かれ、やらなくてもいい仕事からはどんどん人が離れていき、社会のスリム化が図られる。
これって意味あんのかな?
何でこんなことしてんだろ?
仕事に意義を見出せない…
会議のための会議や、
体裁を繕うための資料作りや
顔を立てるためだけの接待…
冷静に考えれば「ムダ」としか言いようのない仕事が、ビジネスの世界には溢れている。
「ポチョムキン村」の逸話をご存じだろうか?
これは主に政治的な分脈で使われる言葉で、ロマノフ王朝時代のロシア軍人であったグリゴリー・ポチョムキンに由来する。
ポチョムキンは自らクリミアの開発に当たっていたが、そこへ皇帝のエカチェリーナ2世が視察にやってくると聞き大急ぎで立派な建物の「ハリボテ」を作り、さも彼の地が栄えているよう見せかけたという俗伝だ。
ポチョムキンの話が本当であるかどうかは、実際のところ分からない。
しかし、企業に勤めたことのある人なら誰でも、「ポチョムキン」と似たようなことをやったことがあるはずだ。
こうした体裁を繕うだけのムダな仕事は「ベーシック・インカム」が実現すれば、すぐに姿を消すだろう。
これからは良くも悪くも皆が「正直に」なることで、「王様は裸だ」と堂々と言えるようになる。
これってムダですよね?
こんなことやって何の意味があるんですか?
体裁を繕うだけの資料作りなんて自慰行為と同じでしょう?
誰もが心の内で思いながら口には出せなかった「本音の部分」が、これから徐々に浮き彫りになってくるだろう。
誰もが自分に対し「正直に」生きられるようになる。
お金のために
生活のために
そうした制限が「ベーシック・インカム」によって解かれるため、本来の自分を「素直に」表現できるようになる。
イヤなものはイヤ
キライなものはキライ
人であっても物事であっても「自分に合わない」と感じるものからは、正々堂々と距離を置く。
そうした生き方が普通になる。
「ムダ」が省かれ人々が自分にも他人にも「正直に」生きる社会は、活力にあふれた素晴らしいものに違いない。
けれども、中には「エッセンシャルワーカー」など社会の存続にとって不可欠な仕事に従事する者もたくさんおり、「ベーシック・インカム」の実現によりそうした「社会インフラ」とも呼べる職種が空洞化するリスクも当然考慮せねばならない。
果たして「ベーシック・インカム」を制度化しても、「エッセンシャルワーカー」は残るのか?
次はそれを見ていこう。
第2章:「エッセンシャルワーカー」の存続について
結論から述べると、「ベーシック・インカム」が制度化されても「エッセンシャルワーカー」は残るだろう。
それを説明するにはケン・ウィルバーの提唱する「四象限モデル」が分かりやすい。
これはx軸に「内-外」、y軸に「個-全」を取り、あらゆる制度やシステムを4つのカテゴリーに分類するもので、それぞれのカテゴリーは他のカテゴリーと相互に関連し合っている。
【個人の内面】
意識
感情
想い
【個人の外面】
肉体(身体)
生理機能
行動
【全体の内面】
集合的無意識
文化
【全体の外面】
社会体制
生産様式
これら4つ象限は、相互に関連し合っている。
ここで特に注目すべきは、y軸(縦軸)で仕切られる「内-外」の関係だ。
「人の内面」と「外の現実」は相互に影響し合っている。
何が言いたいかというと、社会の一定数の人々が「あり得る」と思った時に、あらゆる思惑は現実となる。
つまり「ベーシック・インカム」も、世の中の一定数の人が実現を確信した時はじめてそれが実を結ぶわけで、逆に言うと「そんなのあり得ない」と思っている人々が大勢のうちは、いつまでも「夢物語」のままである。
もし「ベーシック・インカム」が制度化されたとするなら、それは四象限モデルでいうところの第三象限(集合的無意識)が制度を認めた証であり、紆余曲折はあれども最後は軌道に乗るだろう。
つまるところ「ベーシック・インカム」の実現は制度の細部を云々するより、「価値観の変容」や「意識の刷新」に懸かっている。
そうした「変容のムーブメント」はここ数年急速に規模を拡大しており、特に今年(2024年)はトランプ氏が4年ぶりに大統領の座へ返り咲いたこともあり、来年以降さらなる情報開示が望まれる。
2020年のコロナウイルス騒動や、最近の兵庫県知事選挙に関する報道など、大手メディアの在り方について様々な疑義が持たれているが、これまで「真」とされたものが「偽」で「逆もまた真なり」といった「大転換」が、これからは至る所で起きてくる。
従来の常識や固定観念が180度入れ替わる「転換期」を経て、現代資本主義のドグマとも言える「経済宗教」から人々が脱却していくだろう。
経済宗教はあらゆる価値を「金銭」へ還元することで、社会を「フラット化」してしまう。
「精神性」や「道徳性」といった金銭で計ることの出来ない価値を一切否定し、「肉欲の充足」や「物質的豊かさ」を唯一の価値基準とすることで、人々を互いに競わせる。
「見える世界が全て」と吹き込み、限りある資源を我が物にしようと人々が相争うことで、血で血を洗う「無間地獄」が現れる。
帝国主義における植民地争奪戦争はその典型と言えるが、誰かが領土を拡大すれば誰かの領土が削られるわけで、経済宗教とはパイの拡大を全く見込めない「ゼロサムゲーム」と言えるだろう。
「陣取り合戦」とも言える経済ゲームに強制参加させられていたのがこれまでの人類であり、先に挙げた小山内女史の提唱する「天繩文理論」は、そうした旧来の価値観を刷新するための理論である。
すなわち「徳」や「仁」といった精神性(見えない世界)に光を当てることで、フラット化した世界(2次元)を立体的世界空間(3次元)へとアップグレードさせることを指す。
例えば「慈悲は殺人よりも尊い」と人間なら誰でも分かる道理だが、これを「論理」や「数式」で証明するのはどんな天才でもムリだろう。
「論理」や「数式」など机上の計算(2次元平面)で表せるのは「損得」に限られ、「慈悲は殺人よりも尊い」といった「価値」についてはつまるところ「心の眼=精神性」でしか計れない。
「価値」の良し悪しや高低を計るには「精神性」に拠らねばならず、それには「見えない世界」の存在を認め「価値の階層」を新たに打ち立てる必要があるだろう。
あらゆる価値判断が「損得」によって下されるフラット化した世界(2次元)に、新たに「価値の階層」が打ち立てられることで、立体的世界空間(3次元)が立ち上がる。
2次元と3次元の一番の違いは「情報量」に求められ、経済宗教による洗脳から「損得」という単一の価値基準で運営されていた地球社会に、「真」「善」「美」をはじめとする多様な価値観が次々と立ち上がるようになる。
現代は「情報化社会」と言われるが、これから社会はどのように変わっていくだろう?
フェイクニュースがあちこちで飛び交い「玉石混淆」とも言えるネット空間は、未だ発展途上の段階で改善の余地は無数にある。
価値ある情報を見抜くセンスを「情報リテラシー」と呼んだりするが、誰にとっても普遍的に価値を持つ情報とは何だろう?
答えは「美」。
「美」は人種、性別、年齢を問わず、誰にとっても価値を持つ。
当代一流の霊能者であり「夢探求家」としても名を馳せた故辻麻里子さんは、著書の中で次のように述べている。
「価値」とはつまるところ「美」に求められ、「精神性」とは「美」を洞察するための感性に他ならない。
「美しさ」とは「真理」である。
情報化社会が行き着くところまで進化すると、「美」が至上の価値として認知されるようになる。
これまでの時代は何よりも「お金」が一番大事で、お金を得るために様々な「地位」や「資格」や「ステータス」を求め、少しでもヒエラルキーの高い位置に陣取るのが唯一の「成功」とされてきた。
しかし「価値の階層」が確立され情報化社会が行き着くところまで進化すると、「損得」を基にした「お金」の重要性は相対的に逓減し、代わりに「美」への希求が爆発的な盛り上がりを見せるだろう。
フリーエネルギーの実用化やAIテクノロジーの発展によりコストダウン(特に光熱費)が実現すれば、暮らしは今よりも間違いなくラクになる。
さらには情報開示によって、これまで国際金融資本(ディープステート)のやりたい放題であった金融の分野にもメスが入り、一部の特権階級に吸い上げられていた富が「給付金」として還元されることで、より公平性の高い社会へと生まれ変わる。
小山内女史によると、従来の物質文明は富が低いところから高いところへと逆行していたが、これからは地球社会も自然界の法則通り機能するため、お金も高いところから低いところへと流れるようになるという。
テクノロジーの発展や金融システムの刷新による暮らしの改善は、従来よりもはるかに高い「安心感」を人々に与えるようになるだろう。
「大丈夫」という安心感は地に足をつけ、各々が本来取り組むべき「役割」や「使命」へと人々の意識を駆り立てる。
結局「不正」や「ズル」をしてまで稼ごうとするのは「不安」や「恐怖」に由来するわけで、「大丈夫」という安心感が社会の中で共有されれば、より純粋に自分の「やるべき事」へ専念できるようになる。
金銭的な理由をはじめ様々な事情から夢をあきらめることもなくなり、誰もが妥協なく「こう在りたい」と思う自分を追求することの出来る社会。
そうした社会において展開されるのは「経済宗教」の枠でくくられた「お金儲け」ではなく、「美」や「真理」の追求といったより本質に根差した社会活動となるだろう。
社会が一足飛びにこうした理想的なものへ変わることはないだろうが、テクノロジーの発展や情報公開の進展により少しずつ人心が開かれることで、価値観に変化が起こるだろう。
「正直者はバカを見る」の言葉通り、これまでの時代は「不正」や「ズル」をしてでも1円でも多く稼いだ方が豊かな人生を送れただろうが、人々の価値観に変化が起こるとそうした「人生の必勝法」も従来とは真逆のものになるだろう。
これから訪れる社会はおそらく、「正直者は報われる」などといった生易しいものではない。
むしろ「正直者しか生きられない」非常に厳しい社会で、「もたれ合い」や「馴れ合い」といった「なあなあの関係」も徐々に機能しなくなる。
「損得」ではなく「誠実さ」や「高潔さ」が社会を回す原動力となり、そうした高い精神性を持てない者は必然的にどんどん隅へと追いやられる。
先に「高速道路」と「一般道」の例を出したが、まさにスピリチュアルの世界で言うところの「二極化=多極化」がこれからどんどん加速する。
そうした本来の自然法則に沿って展開される新しい社会では「モラルハザード=正直者はバカを見る」は鳴りを潜め、真っ当な言動が真っ当に評価される真っ当な社会へと生まれ変わることになる。
エッセンシャルワーカーの社会的地位や評価も必然的に見直しが図られ、価値観の変容や制度の改変が進む中で、所得格差が徐々に是正されていく。
精神性が重視される社会において、仕事に「やりがい」を求める形でエッセンシャルワークが人気を博す場合もある。
一例として東日本大震災の後、東北地方で自衛官を志望する少年少女が激増したと言われており、社会の体制や価値観が変われば仕事に対する考え方にも自然と変化が生まれてくる。
その意味で「ベーシック・インカム」が実現されても、「価値」や「精神性」の視点からエッセンシャルワークが廃れることはないだろう。
逆に無節操な投機やサギまがいの金融商品の販売など、本質から逸脱した商売については今どれだけ社会的地位やステータスが高くても、これからは衰退の一途をたどっていくことになる。
「ベーシック・インカム」が実現しても、エッセンシャルワーカーは残るだろう。
「原理・原則」に根差して人生を全うしている限り、必要な支援は必ず手元に入ってくる。
第3章:第二次産業革命(波動革命)
イギリス発の産業革命により物質文明は驚異的な成長を遂げ、生活の利便性は劇的に向上したものの、同時に核戦争のリスクや環境破壊といった深刻な社会問題も惹起することで、地球という惑星自体が存亡の危機にさらされている。
人類に恩恵と危機の双方をもたらした産業革命は、どのように成就されたのか?
先述の「四象限モデル」は、技術革新と集合的無意識は補完関係にあるのを示唆している。
近代以前の中世においては「宗教」「芸術」「科学」が一緒くたにされ、芸術については宗教に関わるものしか描くことは許されず、科学にいたっては「地動説」など唱えようものならすぐに火刑に処されてしまう。
「芸術」や「科学」を純粋に追求するのは罪と見なされ、あくまでも「宗教」というくくりの中で教会の正当性を讃えるための「道具」としてしか存在を認めてもらえない。
言わば「芸術」と「科学」は「宗教」という主人の下僕であり、中世においては「科学的正当性」よりも「宗教的迷妄」の方が社会的に正とされていた。
しかし、「啓蒙思想」の発達により合理主義や批判的精神が芽を出すと、次第に「科学」と「宗教」の立場が逆転し、それまで正とされていたあらゆる教義が徹底的にこき下ろされるようになる。
宗教的迷妄が解かれ「宗教」「芸術」「科学」がそれぞれ明確に区別されると、「芸術」や「科学」を純粋に追求できるようになる。
そうして生まれたのがセルバンデスの『ドン・キホーテ』など宗教的視点に囚われない「近代小説」であり、「地動説」にいたっては周知の通り近代科学の基礎を確立したガリレオ・ガリレイは現代においても高く評価されている。
そうして合理主義が自然界の法則を解明し出すと今度は科学が「神」として崇められ、科学万能主義が行き過ぎた結果、原爆の投下をはじめあらゆる悲劇が今も世界を覆っている。
STEMの結晶とも言えるGAFAの面々は、人間の嗜好をアルゴリズムで数値化し利益の最大化を図るが、「力は正義」と言わんばかりの資本主義思想が如実に表現されている。
「科学」が「芸術」と「宗教」を支配した結果、社会がフラット化(2次元)してしまい、そこへ「価値の階層」を打ち立てることで立体的世界空間(3次元)を現出するのが、目下人類の課題だろう。
「科学」によって排斥された「芸術」と「宗教」にフォーカスし、三者を上手く統合するには、物事を俯瞰するための立体的視点が必要不可欠となってくる。
質的に異なるものを統合したり、矛盾を矛盾のまま受容できる認知様式を「ビジョン・ロジック」と呼んだりするが、これは現代の情報化社会と密接な関連を持っている。
情報化によって価値観が多様化し、単一の価値基準に縛られない様々な信条や主義が生まれることで、人々の間に「自分軸」が確立されるようになる。
「芸術」と「宗教」はそれぞれ「美」と「精神性」に置き換えられ、「自分軸」の確立とはすなわち「科学」「芸術」「宗教」の統合と同義である。
「見えない世界」に意識が向くことで近年「フリーエネルギー」が注目を集めているが、これはイギリス発の産業革命に次ぐ「第二次産業革命=波動革命」と捉えられ、それぞれの要点を整理すると以下のようになる。
【イギリス発の産業革命=第一次産業革命】
「石油」が動力源
啓蒙思想による合理主義や批判的精神の発達
「宗教」「芸術」「科学」の区別
行き過ぎた科学万能主義
フラット化した世界・環境破壊・核戦争の危機
【第二次産業革命=波動革命】
「波動」が動力源
「見えない世界」に対する理解
「宗教」「芸術」「科学」の統合
「物理次元」と「高次元」の関連
立体的世界空間・自然との調和・価値の追求
工業化社会への移行は「薪」→「石炭」→「石油」と動力源の更新と軌を一にするが、今回の「石油」から「波動」へのシフトは文明そのものの入れ替えとなるため、従来にない規模の大激動となるだろう。
振り子に揺り戻しがかかるように、科学万能主義から「宗教」や「芸術」の重要性が見直され、これからは精神文明が再興されることになる。
一例として『センスメイキング』(クリスチャン・マスビアウ著 プレジデント社)を著したクリスチャン・マスビアウが「フォーチュン500」に掲載される企業経営者の出身学部を調べたところ、一昔前までは理系の出身者が大半を占めていたが、近年文系卒の割合がじわじわと上昇しており、直近ではおそらく半々くらいと思われる。
日本でも「エグゼクティブ」と呼ばれる人々の間でアート系大学院への進学がブームになるなど、精神文明への移行はビジネスの世界でもハッキリと傾向が見て取れる。
従来の物質文明はあらゆる事象を細分化し専門性を深める方へ向かっていたが、バラバラになった断片をもはや誰も収拾できす途方に暮れているのが今の時代で、これからはそうした分離を癒すための「抽象的思考力」が必要不可欠となってくる。
バラけた断片を統合するには「背景の洞察」が不可欠であり、そこにはある種の「法則」や「審美」が見られることから、必然的に「抽象的思考力」が「論理的思考力」に取って代わることになる。
否、より正確に言うと「論理的思考力」の上に「抽象的思考力」が被さることで、「具体」と「抽象」の間の行き来や物心相互の対称性の把握など、あらゆる領域でバランスを取れるようになる。
論理的思考力なき抽象思考は単なる「妄想」に過ぎず、先述のウィルバーは進化の原則を「超えて含む」と呼んでいる。
進化とは「マトリョーシカ」のような入れ子構造として捉えられ、既存の状態に新たな特性が加わることで層状に発展を遂げて行く。
「美」や「精神性」あるいは「霊性」といった抽象概念を扱う能力は「論理的思考力」の上に築かれ、上記の入れ子の概念によればその逆はあり得ない。
つまり「論理的思考力」の未熟な者は抽象概念を満足に扱えず、昨今のスピリチュアリズムはこの点に関する認識が希薄なように思えてならない。
「愛」や「光」といった曖昧な言葉を空念仏のように唱えるだけで、中身がまったく伴わない。
本来それは「スピリチュアル」ではなく「迷信」や「妄想」の類と言えるが、これからの時代はそうした真偽を見分けるリテラシーも問われるようになるだろう。
【産業革命・物質文明】
「論理的思考力」→「フラット化した世界」
【波動革命・精神文明】
「抽象的思考力」→「立体的世界空間」
文明の移行に伴い扱う情報量がケタ違いに増えるため、より高度な認知様式(ビジョン・ロジック)の習得が喫緊の課題として上がってくる。
こうして「美」や「精神性」に対する関心が高まると、「見える世界=物理次元」と「見えない世界=高次元」の相関関係が次第に解明されてくるだろう。
「表」があれば「裏」があり、そもそも「見えない世界」の存在がなければ「見える世界」は成り立たない。
この辺りの「奥義」や「秘伝」を克明に綴っているのが『フラワー・オブ・ライフ』(ドランヴァロ・メルキゼデク著 ナチュラルスピリット)で、同書は「フラワー・オブ・ライフ」や「プラトン立体」などの幾何学をベースに、宇宙の成り立ちを壮大かつ緻密な体系として説いている。
『思考は現実化する』(ナポレオン・ヒル著 きこ書房)が示唆するように、「見える世界」と「見えない世界」の相関はビジネスの世界でも言及されており、これからは主に「科学」と「宗教」の統合が実現することで、人の意識がいかなる形で物理次元に影響を与え得るか、その法則性や原理・原則が徐々に解明されていくだろう。
・戦争のない世界
・病気のない世界
・お金のない世界
「意識が現実を形創る」と科学の世界で証明されれば、高いレベルの「美意識」や「精神性」を人々が体現することで、まさに理想郷とも言える「3ない世界」を実現するのも決して夢ではないだろう。
物心
善悪
正邪
清濁
上下
左右
東西
男女
etc…
我々の住まう物理次元は「二元の世界」で、対極に位置する存在を通し自己の位置を計るといった「対称性」が、いつどんな時でも見受けられる。
「善」があれば「悪」もあり、「光」があれば「闇」もある。
戦争は「正義と正義」のぶつかり合いによって起こるが、こうした二元対立を克服し真の調和を実現するには、先に述べた「ビジョン・ロジック=立体的視点」が必要不可欠となってくる。
「ビジョン・ロジック」は「非視点的意識」とも呼べ、これは視点を固定し特定の見方を取るのではなく、高い視座から俯瞰的に物事を眺めることで「中立性」を確保する。
例として今、あなたと私が「風車」を挟んで遠目に向かい合っているとしよう。
私から見て「右回り」の風車は、あなたからすると「左回り」に見えており、この時視点を一個に絞り自分の立場でしか物事を見ることが出来なければ、あなたと私はケンカすることになるだろう。
しかし「ビジョン・ロジック」による高い視座から「風車がただ回っている」という中立的姿勢を保てれば無用な争いなど起こり得ず、このように人間は「ジャッジ」することで自ら「敵」を作り出している。
「戦争」や「病気」を克服するのも基本的にはこれと全く同じ理屈で、「悪」や「害」と呼ばれるものをいかに中立的に捉えるか。
穏やかな人生や調和的社会を築く鍵は、全てそこに懸かっている。
中立的に物事を見るには「背景」の洞察が不可欠で、目の前の事象や表面的な言動だけに目を奪われると、感情に支配され事の本質をつかめない。
「悪」と呼ばれるものの背後に、どんな意味を見出すか。
なぜ「悪」は「悪」として存在するようになったのか。
仮にそれが「絶対悪」であったとしても、そうした「悪」を超越し調和的な社会を実現するには、「悪」を「悪」たらしめる根本思想を特定し止揚せねばならない。
それには事の本質を見極めるための抽象的思考力が不可欠であり、あらゆる事象の相関関係や思想的背景の把握といった「全体観」を持つ必要があるだろう。
その上で「悪」を客観化し「超えて含む」ことによって善悪二元論を超越する。
「病気」の場合も全く同じで、目に見える「症状」だけにフォーカスしていたのでは、本当の意味で病を克服するのは不可能だ。
もちろん症状の「治癒」や「緩解」はQOLの向上にとって必須となるが、「病気をどのように捉えるか」という「解釈」も、病の撲滅にとっては外すことの出来ない主要なテーマと言えるだろう。
「症状」が病気の「外面」とすれば、「解釈」は病気の「内面」を見るのに相当し、真の治癒を図るには内外双方のアプローチが必要不可欠となってくる。
病気の外面に当たる「症状」へのアプローチを「治療」とすれば、内面を調えるのに不可欠とされるのが「解釈」であり、両者が揃って初めて「真の治癒」が実現する。
自分の何が「病気」という現実を起こしたか
病気は自分に何を伝えようとしているか
病気から自分はどんなことを学べるか
病気によって自分の価値観にどんな変化が生じたか
病気の「解釈」はもちろん個々によって様々だが、いずれにしても行き着くところは「納得感」から来る「心の平穏」にあるだろう。
自分は今のままでいい
自分はこのままで構わない
あらゆる苦痛や困難と向き合う過程で、最後そうして「ありのままの自分」を受け入れられたら、その人生は間違いなく「大成功」と言えるだろう。
「善悪」や「正誤」を超越した視座から全体を俯瞰し、あらゆる二元を統合することで調和的な社会を築くこと。
神道の世界で言うところの「結び」の実践が「3ない世界」を実現させるが、それには高いレベルの精神性が必要条件として上がってくる。
第3章の議論をまとめると、以下のようになるだろう。
啓蒙思想による合理主義の発達
↓
「宗教」「芸術」「科学」が区別されたことによる産業革命の発生
↓
「区別」が行き過ぎ「分離」したことで「科学」が他を支配する(科学万能主義)
↓
あらゆる価値が「金銭」へと還元される「経済宗教」の発生(フラット化した世界)
↓
情報化社会への移行による価値観の多様化
↓
「美」をはじめとする金銭では計ることの出来ない価値の追求
↓
「精神性の高低」を基調とする「価値の階層」が立ち上がる(立体的世界空間)
↓
高いレベルの抽象的思考力を駆使することで「宗教」「芸術」「科学」が統合へと向かい出す
↓
「善悪」や「正誤」として認識されるあらゆる二元を「超えて含み」止揚する
↓
一元化への流れが加速することで「理想郷」としての「3ない世界」が実現する
時代は確実に「精神文明」の方へと向かい、この流れはもはや誰にも止められない。
最終的には人類の集合的無意識が臨界点を迎え、あらゆる二元を超越し止揚することで「3ない世界」が実現されるに違いない。
「ベーシック・インカム」の制度化は、そうした高次精神文明への移行期における「マイルストーン」のようなもので、決してそれが「最終目的」や「ゴール」というわけではない。
「四象限モデル」で見られたように、社会の変容は「人々の意識」と密接に関連していることから、どこかの時点で既存の価値観に亀裂が入ると、それが必然的に制度の改変へとつながることで、我々を取り巻く環境が刷新されることになる。
歴史を振り返れば明らかなように、例えば戦時中「鬼畜米英」と連合国を目の敵にしながら、戦後は打って変わって「民主主義万歳」と態度を一変させるなど、価値観とは意外なほど簡単にひっくり返るものである。
戦後日本人の価値観が一変したのはGHQの占領政策によるところが大きく、情報の影響力がいかに大きいかを示唆しているが、米大統領が2025年からトランプ氏に代わることもあり、今後は情報公開の進展によって人々の価値観が刷新されることになる。
これまでの「経済宗教」が完全に廃れ「お金」という神が実は幻想だったと一定数の人が気づけば、価値観の刷新などキツネにつままれるような容易さであっという間に達成されるだろう。
そこまで来れば「ベーシック・インカム」を実現するための心理的土台は整うわけで、あとは技術・経済的な問題との兼ね合いで、しかるべき時期に制度化への道が開かれる。
その意味で「ベーシック・インカム」の実現可能性は極めて高く、高次精神文明への移行期における「マイルストーン」として、既にその輪郭を来たるべき未来の中に捉えることが出来るだろう。
【主要参考文献】
『インテグラル心理学』(ケン・ウィルバー著 日本能率協会マネジメントセンター)
『進化の構造 1・2』(ケン・ウィルバー著 春秋社)
『U理論』(C・オットー・シャーマー著 英治出版)
『ティール組織』(フレデリック・ラルー著 英治出版)
『これから2500年続く皇・繩文時代 改訂版 天繩文理論』(小山内洋子著 コスモ21)
『大転換の後 皇の時代』(小山内洋子著 コスモ21)
『センスメイキング』(クリスチャン・マスビアウ著 プレジデント社)
『世界最終戦争論 文明と戦争の大潮流を解く』(馬野周二著 東興書院)
『フラワー・オブ・ライフ 第1巻・第2巻』(ドランヴァロ・メルキゼデク著 ナチュラルスピリット)