12/21 買わない物(木)

秋学期の授業が終わり、テスト期間に入った。今日は昼に一つオンライン上でテストがあるだけ。テスト勉強をするべきだったけれどピアノをよく弾いた。

テストが無事終わり昼過ぎに買い物へ。牛乳を買う。昨日何も買わなかったのが英断というべきか、買いたかった薄い豚ロースが半額になっていたので買った。

14時半ごろ、ツイッターが動かなくなった。ヤフーニュースで速報の通知が来て、不具合が発生したと知る。ああ、と思ってピアノを弾き続けていた。
1時間後くらいに復旧し、またいつものようにTLが現れる。阿鼻叫喚が流れてくる。「世界が終わるときもこんな感じなのかな。」という主旨のツイート(ポスト、か)を見つける。
僕はこういうときにみんなが同じことしか言わなくなる感じが大嫌いだから、大嫌いだけど理由をちゃんと説明できないので、いつも何も言わない。
けど、とっくにツイッターもXも、世界も終わるというのに、みんなまだそのことについて話し足りないのか。くらいまでは思った。
ノストラダムスによれば1999年に世界は滅亡する予定だった。

夕方に布施琳太郎『ラブレターの書き方』と千葉雅也『動きすぎてはいけない』(文庫版)が届いた。
それぞれの紹介文から引用する。

「ラブレターの書き方を考える第一の理由は、ソーシャルメディアが浸透した社会において「二人であることの孤独」を創出するためである」——新時代のアーティストが提案する、SNS以降を生きるための〈新しい孤独のプラクティス〉

布施琳太郎『ラブレターの書き方』(表紙裏)

全生活をインターネットが覆い、我々は相互監視のはざまで窒息しかけている――現代の「接続過剰」から逃走するチャンスはどこにあるのか?

千葉雅也『動きすぎてはいけない』(裏表紙)

今は先に、インターネットと、滅亡(しつづけていること)と、戦う装備を整えてから短歌や創作について考えようかなと思って、昨日

ツイートしたら、4件、スパムのリプがついた。
昨日治療した歯が痛くならなくてよかった。

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