10/14,15 まるまるめろめろ
14はオールナイト・エリセ。
昼はカレーつくって、うららとDVDプレイヤーのテストしてたけどうまくいかなくて、あー、ってなってた。もういいやっつってプロジェクターに繋いでYouTubeを二人で観た。
この演奏素晴らしいのでみんな聞こう。プレトニョフ。ピアニッシモがすごいのと、1音目鳴ったときの観客の静寂がたまらない。
あとはカネコアヤノのMVいくつか。
DVDプレイヤーはなんとかなった。なんとかなるだろと思って焦ってなかったけどなんとかならなそうで、一回結構反省して、けどやっぱりなんとかなって、ちょっと今回ばかりは現実を睨みつけた。
ビクトル・エリセ、よかった。
「ミツバチのささやき」
「エル・スール」
「マルメロの陽光」
ドラマチックさで言えば「ミツバチのささやき」が優れていて、子どもの危うさとか怖いもの見たさの表現や隠喩がそれはもうたまらない。んだけど、それ以前に、3作を通底している光、静寂、遅さ、みたいなものが体に染み込んでくる感じがすごかった。
「生活」が単語として思い浮かんだけど、よく考えると生活ではそんなになくて、なんていうか、「生活」とその周辺の光と空気を噛み砕いてわたあめの機械に入れたらでてきたキラキラふわふわのなにか、と言うと近づく、なにか、?
一番好きだったのは「マルメロの陽光」
画家のアントニオ・ロペスがマルメロの木をひたすらに描く映像が続く作品。最初にマルメロの木の周りに支柱や印をめぐらして、ロペスは自分の立ち位置をペグでマーキングし、目線と姿勢を確認する。ここの「労働」「営み」「所作」の感じが好きすぎた。そこを始点にしてただただ一本の木と対話をするようにキャンバスに向かう。誰に見せるでも発表するでもなく、マルメロの実が垂れ下がれば実の位置を書き直し、変化をただただ描出する。身体、神経、感性を投じた瞑想であり対話だった。いや、対話というよりは、もっと理想的な「共に在る」とか「同化」みたいな状態だった。〈私〉が〈木〉になり〈木〉が〈私〉になっていくような。
こんなふうになにかに身を捧げられたなら。
小津の「東京物語」のときも思った「こんなおじいちゃんになりたい」がもう一度やってきて、いや、もうおじいちゃんじゃなくて、今からなりたい、とまで思った。
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15日、オールナイトが朝に終わって、みんな帰ってから少し寝た。机の上に残ったお菓子と栗で申し訳程度に腹ごなしして、17時からバイトだったので行く。
ジャズセッションのイベントで、生演奏聴きながらちょいちょい受付と接客。いいでしょ。UMMG?って曲がよかったのでメモっておいたのと、枯れ葉の6/8拍子アレンジとドナ・リー高速ユニゾンがかっこよすぎて、帰って練習したくて仕方がなかった。
「ケンタウルス 100万」ってメモもあって、これはお客さんが話してたギターのエフェクターの「メーカー 値段」を流石に知らなすぎておもろくてメモった。ギターのメーカーも現代のジャズプレイヤーも常連さんの名前も、まだまだ知らないことばかりやね。
映画のときも思うけど、監督も脚本家も批評家も知らない人ばかりで会話についていけないの悔しいから頑張りたい。
狭く深く/広く浅く じゃなくて、広く深くね、
ここテストにでます。
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