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哲学対話の授業全10回が終わった。第1回は比較的新鮮で面白かったけれど回が進むにつれて辛くなっていった。なんなら傷つくこともあった。zoomのミュートを外して喋る人、となると徐々に固定化していって、そういう人は大体瞳が輝いていて、先生もそちら側で、喋っていない人のことが見えていないのだけど、彼らは当然見えているかのように喋るので、きつかった。
最後、私たちが気持ちよく生きていくためには「罪悪感」や「甘え」なんていう概念は必要ないんじゃないかっていう話になった。この語たちに日々苛まれたり救われたりしている身からすると、それを「戦えるもの」として輝く瞳でばっさりと切り倒していく人たちが本当に恐ろしく見えた。
全10回の対話の中で偽善的な意見はたくさんあったけれど、ガザの大量虐殺の話は僕が一回出して軽く流されただけだった。「世界の反対側には苦しんでいる人もいる」の例に先生はベネズエラの貧困の話ばかり出していて、いやいいんだけどさ、でも先生のやけに明るい目にガザの人々は移っていないように見えてぞっとした。

最後に何かありますかと言われたときに、僕は、虐殺阻止や不買運動やほかにもいろいろの電子署名のリンクをzoomのチャットに送り付けて「とりあえずみんなで署名しましょう」って言えばよかった。言えなかった。おれはなんてしょうもない人間だと思った。「罪悪感」なんてそう簡単に切り捨てるものじゃない。

僕はイスラエルによる大量虐殺、民族浄化に抗議します。

その授業以外の時間、何もなかったから結構だらだらしてしまって、授業の後も虚脱感に襲われて体が動かなかった。彼女と電話したら、一瞬だったけどだいぶ回復して、ご飯を炊いたり野菜を切ったりできたしこの日記にも取り掛かれた。
今年の下半期、特に11月ごろに精神の安定が保たれていたのはほとんど彼女のおかげだった。いつもどこか褒めてくれて、自己肯定感の最低ラインが常に担保されているのがありがたかった。それがなければ変なところで最低ラインを割ったところにある精神力を消費してしんどくなってただろうと思う。彼女と今度どこ行くか話したりした。ギターの練習一緒にした。

あしたの連作歌会を前に、急に連作の構想が下りてきた。最悪連作を提出できないかもしれないと思ったけれど、まだ舞える。
ユリイカのpanpanya特集号がとどいた!届いてみてから、「野暮」という言葉が浮かんだけれど、いや、そうじゃないだろうきっと。ゆっくり読んでいく。
浅田彰『構造と力』の文庫版もおとといぐらいに届いて、千葉雅也の解説を読んだけれど、第一印象は「扇動的じゃなくてほっとした」という感じかな。『構造と力』は劇薬だと思ってるので。いやに持ち上げたりしない、鎮静剤的な解説が末尾に付されたのは結構良いのじゃないかと思う。

部屋が散らかりすぎているので明日片付ける!
と書いてみたらもしかしたら明日片付けられるかもしれない。

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