果物のこと
無花果を絶対に買う、とつぶやいてみたところ、それに触れてくれる人が二人もいた。まだ人生で一度も食べたことがなく、でも不思議な引力を持っていて、この果物は一体なにものなんだと思いながら、つぶやいた二日後の昼間に八百屋で買った。6個入りで400円弱。
僕は果物が多分あまり好きではない。なんかあの繊維と果肉と種とが混然一体となっている感じがまず食感として好みではなくて、味が美味しかったとしても、皮を剝き食べれる状態にするまでの労力が食べたい気持ちを上回らないことが多い。メロンとか柿とか桃にあるぬめりのようなものが好みじゃない。りんごやいちごの甘酸っぱさもいまいちピンとこない。梨くらいだ。梨はシンプルで、甘さと風味だけがあって、みずみずしくシャキッとしてて好きだ。剥く労力を軽々と超えてくれる。
だから無花果もそれほど僕の好みではなかった。甘くて一筋縄ではいかない風味を持っていてとても美味しかったけれど、食べたくて一人で買うことは人生でしばらくないだろうと思った。
人生で一個目となる無花果は手で半分に割って皮ごと食べてみた。二個目は頭からかじって、そこで手がとまって、複雑な風味が自分の果物チャートのどのあたりに位置するのか考えたり、残り四つの無花果たちの結末のことを考えながら5分くらいただ止まっていた。
二個目の残りを口に放り込んで、食べ終わると、無花果の余韻を消さないように気をつけながら水を飲んだ。これが9月19日のこと。
せっかくあと4個もあって、もうしばらくは自分で買わないだろうから、いろいろな食べ方を調べてみた。生ハム、レンジでチン、コンポート、揚げ出しなど。手間を惜しんで、最初の二つをやった。
生ハムとレモン果汁と食べるのが特に美味しかった。2個はそれで。1個はレンジでチン。高級料理みたいな趣が出た。もう1個は残念ながら痛めてしまった。
これがこの一週間くらいのこと。
でもこれだけ喋れたなら、また買ってしまうかもしれない。無花果にまつわるこういう引力についてはそういえば解明できなかった。名前の字面の強さと、風味のなぞの複雑さが原因じゃないかと睨んでいる。
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少ししてまた八百屋に行くと、入ってすぐのところにに柿が置いてあって、もう柿の季節か、と思った。梨の陳列はだいぶ減っていて、でも幸水や豊水より一回り大きい恵水という銘柄が新しく置いてあった。梨は好きなんです。でもあんまり大きくて、一人で食べるのも不安だった(半分食べてもう半分をラップで保存しておくうちに痛めてしまうことを想像してしまった)から見送って、これまた新しく入荷されていた洋梨を買った。9月26日。
追熟するタイプの果物を買ったのは久しぶりだった。なにしろ、それこそ桃や柿のような追熟する果物のぬめりや柔らかさが苦手なのだ。熟しすぎて腐るのを嫌がっているのかもしれない。もしくは皮に包まれていて中身の良し悪しが分かりづらいから苦手なのかもしれない。逆に追熟しない梨とかスイカとかシャインマスカットとかがやっぱり好きだ。シャインマスカット食べたいなあ、誰か買ってくれないかな。
洋梨は苦手な部類のはずだけど、「梨」と入っているからなんとなく騙されている。いや、それほど繊維質でないことが結構嬉しいのかもしれない。
今は机の上に洋梨を置いて熟すのを待ちながらたまに目をやっている。さっきまで冷蔵庫に入れていたのだけど、これを書きながら追熟について気になってきたから調べると、あまり低温過ぎてもだめで、室温程度がいいらしかった。西洋絵画の静物画で木製のボウルに果物がたくさん入っていたりするけれど、それは熟すのを待っているんだな、と今理解した。
追熟はエチレンガスの発生によって起こるらしく、これによって果物が老化する。品種によるがりんごやバナナは追熟しやすいらしく、エチレンガスは空気感染のように伝播するから、まだ熟していない果物もそれらと一緒に並べておくと熟しやすいのだと。だからあの木製のボウルにはいろんな種類の果物が入ってるのか。
室温と言ってもこの頃暑い。最近新しく働き始めたレストランの店長がそう言っていた。赤ワインは室温で保存するべきらしいが、このときの「室温」は何十年何百年前のフランスやイタリアの「室温」であって、数値にして約15℃。今の日本の室温とはかなり違う。もう夏があまりに暑い。だからレストランには15℃に設定できる冷蔵庫があって、赤ワインはそこに保存してあった。
僕の洋梨も、この「室温」でいいのだろうかと思いながら机に置いている。白いあみあみの緩衝材でくるんであるから接地面から痛むことはないだろう。もう涼しくなってきた。信じて待つ。
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