無意識のテトラのメモ
前回は、プラグマティックメディスンの「まなざし」について書きました。これは判断の基準を、いわゆる事後に求める姿勢で、データ収集の末に決断するEBMとは一線を画するものでした。(但し、EBM誕生においても従前の姿勢から抜けるため統計でいうところのベイズ的な姿勢が重視され、真理としての病態生理的視点の乗り越えが図られてはいたのですが…)
それでは、プラグマティズムによってどのような視点が具体的にはもたらされるのか。事後を見据えるといっても、原理的には予測でしかないところをどうやって具体的な行動に結びつけていくか。つまり選択の発動の基底となる無意識は、具体的にどのように発動させるかという方法論をか考えてみます。
この辺りの具体的な理論展開は、厳密にはもっと深く必要なのですが、今はそこで立ち止まらずメモ的に疾走していきます。(まあ、このようなブログ記事を読んで頂いてる方にはテレパシー的に(笑)伝わっていることでしょう)
ここでは、意識されないものを扱うためのツールになるであろうと思われる概念を、無意識のテトラとして、4つ取り上げてみます。これらはもっと言えば、自由意志ではない選択の要諦ともいえるでしょう。中動態的な選択の基底にもなりえます。
1.ファシア
2.ポリヴェーガル
3.マイクロバイオ―タ
4.ケラチノサイト(皮膚)
各々の詳細はこの段階では省きますが、ジャングルカフェなど砕けた勉強会の場などで、実際に説明していこうと思います。
少し補足すると、ここでいう無意識は、意志の作用ではなく「選択」の視点の基底となるもの。その姿勢は、まさに中動態的な視点と言えるもので、真理といった絶対的なスタート地点(動脈的視座の始点)ではなく、一定の曖昧さを有した未来、ゴールへの視点(静脈的視座の終点)です。これはプラグマティックな考え方の基本となる姿勢です。
これまで展開してきたキーワードで、当院のホームページでも載せている「可能性のための医療」ですが、これも可能性=未来志向としてとらえると、方向性としてはプラグマティズムそのものとなります。考えた当初、ここまで想定していたわけではないのですが、結果として合流した概念です。
さらに「こちらの医学」はどうでしょう。この視点の要点は「内」の視点です。「内/外」の対立でとらえると、中動態/能動態の説明と重なるものです。これはウィルバーのいう左上象限で、その意味では客観的(外)ではない領域となります。大きな意識的な選択なく、自然にそうなってしまう選択、そう見える世界です。現象学的還元といった視点といっても良いかもしれません。
一応、簡単にまとめると… プラグマティックメディスンによる姿勢とは、無意識のテトラなどやや曖昧なものを扱いつつ、望ましい不確定な未来(帰結)へトボトボと歩むイメージでしょうか。それにより「生命」の発動を阻害することなく、イキイキと生きる。統合医療とは何かという考察の先に、独自なものが発想されたとすれば、このような医療の姿勢である気がしたので、とりあえずまとめてみた、といった感じです。
本日はジャングルカフェです。テトラの中のマイクロバイオ―タを題材に、テキストを読み進めたいと思います。
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