可能性と共創
今度のジャングルカフェ開催はクリニック移転中のため、オンラインを中心として開催し、撮影会場としては貸し会議室で撮影したいと思います。
なので、一般参加の方々はオンライン参加となりますのでご了承ください。
今回のカフェの課題図書は森田洋之医師の『人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?』です。なかなかに過激なタイトルですので、ゴーマニズム宣言なみの過激表現を想像される方も多いかもしれませんが、内容は極めて穏当かつ堅実な内容だと思います。ブログからの記事がメインの内容で、題名を変えれば(笑)自費出版ではなくても行けたのではないかも思います。
いわゆる「医療化」という問題を、現代の最大問題に焦点をあわせて論じている内容です。問題提起としてはこれまでも、別な切り口で論じられていたものではありますが、ポストコロナにおいて、それが決定的な意味を持ってしまったことに対しての考察です。
いろいろな視点をカフェでは取り扱おうと思いますが、このブログ上でまず、メモ的に記しておくのが「取引の2類型」について。
いわゆる専門家が「ゼロコロナ」を目指すのは構造的な問題であり、この2類型を考えると分かり易いというもの。ここでは世の中の取引には「等価な価値を交換する取引」と「両者で共に創出した価値を分け合う協同プロジェクト型の取引」があるとしています。「等価交換」と「共同創出」とでもまとめておきましょう。
医療現場におけるアナロジーとして、急性期医療は「等価交換」、いわゆる慢性期や終末期は「共同創出」といった感じです。
これは私の従来から説明している医療における「縮退」での説明にも相通じるところで、選択肢の限定された状況では「等価交換」でよく、選択肢が開かれた状況では「共同」での創出が必要にならざるを得ないわけです。ところが(医療現場において)巷間よく耳にするのは、診療点数に紐づけられた等価交換性です。売買可能な商品としての医療といった側面です。こうした状況では、買うべきものが明確に限定されなければなりません。可能性が開いていては、それはそれでまずいという感じになります。そこで用いられる方法が共同(協同)での創出、といったところでしょうか。
しかしこの方法が、まさに線形的な思考とは程遠い方法論を基盤とするため、一般にはなかなか理解しがたいところでもあります。この本でも、こうしたパターンは多く見積もっても「2割」程度と記載してあります。と、続きはカフェでの会話にて。
これを書いていて気付いたのが、現在ホームページの大幅改定中なのですが、そこでの当院のキャッチフレーズ的なものです。これまでも「可能性のための医療」を掲げていたのですが、加えて「共に創る(共創する)医療」を追加したいと思います。
「可能性のための医療・共に創る医療」です。標語的に表現すると「可能性と共創」でしょうか。新たなクリニック開設時の標語にしたいと思います。