こちらの医学を考える
「こちらの医学」としてかつて書いた原稿を少し手直しして再掲したいと思います。この考え方は、ケン・ウィルバーの「インテグラル理論」との関連から考察されたもので、エビデンスや客観性を過度に主張する現状の正統な医学への一つの問いかけでもあります。
本稿は、ある程度インテグラル理論の理解が前提ですので関心のない方はスルーしてくださいませ。
インテグラル理論での四象限といわれるクアドラント(さらにそれを内外に分けた8領域)において、ジャングルカンファレンスに代表される相互関係を基盤に展開される取り組みは「We」(左下象限)の領域として理解されます。これに対して、統合医療の可視化理論(統合医療の「離島モデル」)は、社会的な統合医療の在り方を再確認する目的ですので、「Its」(右下象限)の領域の話題になります。
ここからさらに各象限に内外側の区別を考慮にいれると(ウィルバーは各象限に〇を書いて図示しています)、「I」左上の内・外側、「It」右上の内・外側と4つに分類することができます。
そもそも通常の医療・医学は、客観性を重視したものであるので、「It」(右上)のなかでも、特に外側となります。この時内側は、インテグラル理論上はオートポイエーシス、ないしは認知科学が当てられれています。何故かというと、客観的な言葉で表現された内側からの視点ですから、認知科学や心理学・精神医学(一部)の領域が当てはまることになるわけです。
では左上領域はどうでしょう。「I」という主観からの視点で、内側は「現象学」、外側は「構造主義」が理論上は当てられます。昨今の医学理論とあわせると、内側は個々の視点が絡むことから「NBM」といってもよいでしょう。
では、その外側はどのような領域なのでしょうか。「構造主義」とあるように、自らの主観が、そのようになってしまう、という環境の設定(構造)です。つまり自らを規定しているものとも言えます。もっというと、心地よいと感じることが出来る身体の状況をどう設定するか(どのような構造においてか)、といっても良いかもしれません。
従来の医学理論としての「EBM」は客観的データですから右上外側、NBMは左上内側と、互いに交わりがありません。それゆえに車輪の両輪に喩えられるのでしょう。また、8領域におけるそれ以外の領域が未踏の地となっています。ここ、つまり左上外側と右上内側を、意識的に中心に据えた医学があるとすれば、かなりこれまでの医学とは違った視点を得ることが出来るというわけです。
自らの心の葛藤を客観的な言葉で整理し(右上内側)、心地よい状況を規定している構造(左上外側)を有する医学ということです。
これは従来の医療との違いは、症状を細かく記載して対症療法を行うという、いわば「検察」的な役割ではなく、こちらの味方になって一緒に援護してくれる「弁護士」的な役割ともいえそうです。
こうした立場を、本稿では「こちらの医学」と称してみたいと思います。外側(あちら)から「差異」のみに注目しようとする従来の医学とは違う、「こちら」発信の医学という意味合いです。
ちなみに、こうした考えを、先ほどの左下象限に適応すると、外側はジャングルカンファレンスやオープンダイアローグなどの仕組みや構造、内側は、ダイアローグ内における内省、もしくはリフレクティングそのものといってもよいかもしれません。そして(これが一番わかりにくいのですが)右下象限では、外側はシステム論で、これが「可視化」に関連するものになります。
そして内側は、ウィルバー自身もうまく説明できていないように思うのですが、社会的オートポエーシスと表現しています。たしかに社会システム内部なので、そうなのですが、ここは社会内部からの視点として、いわば歴史的な視点が近いように思います。歴史物語風ではありますが、より深く真相に達した視点というべきでしょうか。「歴史洞察」と表現しても良いかもしれません。つまり同時代人の視点とでも表現できるでしょうか。
ざっとメモ的に、ジャングルカンファレンス、統合医療可視化モデル、EBMとNBM、との関連と、そのニッチにおける「こちらの医学」の概略を述べてみました。
客観性が重視される昨今、まさにオルタナティブな視点が「こちら」となるでしょう。自らの思想を規定するものは何なのか、あらゆる意見や立場が分断へと突っ走るなか、改めて考えてみたいテーマです。
自らの考えや思想はどのような構造や情報に規定されているのか、そしてそこにはどのような思考のクセが内在しているのか。こちらの医学の分析は、これらの自分形成パターンを認識するということと理解できるのかもしれません。