お城へ To Go (金石城・清水山城)
続100名城のラスボス的な対馬の城です。古代山城の金田城訪問のためなのですが、それだけではもったいないので当然他のお城にも足を延ばしてみました。中心地である厳原にある、宗氏の居城、金石城です。宿泊した東横インからも近く、街中のお城といった感じです。
観光情報館ふれあい処つしまで、金田城のスタンプを押してから、そこに駐車させてもらい徒歩で大手櫓門に向かいました。遠くからも目を引く立派な門ですが、城内は復元された庭園のみで歴史民俗資料館ともども工事中でした。
庭園管理のおじさんのお話によると、現在は学校のグランドになっているところに御殿があったようで、将来的には運動施設を移動し、御殿を再建する計画があるようです。
心字の池がある庭園を(閉園しそうだったのですが)見学させてもらい、搦手門の石垣を見ながら、万松院に行ったのですが、こちらは間に合わず見学できず。金石川に沿って石垣をみながら帰ったのですが、万松院を出たところから猫(ツシマヤマネコではありませんでした笑)が大手門の辺りまで何かもらえると思ってか、しばらくついてきたのが思い出です。人懐っこいツンデレネコでした。
翌日の早朝には、詰めの城的な位置にある清水山城へ。観光情報館では盛んに三の丸までで十分ですよと言われたのですが、そうはいきません。全部見ます。
確かに厳原港を押さえる目的での城だけに、港が一望出来てとても景色が良いところでした。そこからは連郭式になっているので、二ノ丸、一ノ丸とまっすぐに登っていきます。ただ背後の有明山への登山ではないのでそれほど大変ではなく登れます。
途中、枡形虎口などもよく残っており、一ノ丸では先ほどの三ノ丸以上の素晴らしい眺望でした。ここはそもそも秀吉による文禄・慶長の役における、朝鮮半島との中継拠点として築城されたもので、かの地に出兵した加藤清正ら多くの武将たちもこの風景を見たのかと思うと感無量でした。
対馬は朝鮮半島から50kmもない位置ですので、ここまで戻った時には多くの出兵した武将たちはホッと安堵したことでしょう。かつて訪問した肥前名護屋城から、壱岐勝本城を経由して、いよいよここから出撃していったというまさに国境の城です。
対馬の夜は、漫画「アンゴルモア」でも紹介されている居酒屋「対玄」で、アナゴをたくさん食べました。作者のたかぎ七彦先生のサイン色紙も飾られていました。
以前は韓国からの旅行者であふれていたようですが、コロナ禍の影響でそうした旅行客も全くおらず、ゆっくりと歴史探訪ができました。白村江の戦い、文禄・慶長の役、日露戦争、と歴史上、地政学的に重要な位置を占め、さらには倭寇の拠点でもあった対馬は、少し遠いのですが機会がればまた再訪したい地となりました。
街道をゆく 13 壱岐・対馬の道
司馬遼太郎 朝日新聞出版 2014-10-07
日本の動物(おもちゃ) ツシマヤマネコ(対馬山猫) ミニジオラマ
鍬匠甲冑屋オリジナル
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対馬水産株式会社
配信元:裏辺研究所
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