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お城へTo Go (山形城・再掲)

 来週末は、JIMCとしての統合医療合宿で、山形・仙台を訪問します。一日目の山形・天童温泉では、統合医療の実戦と理論に加え、近年考えてきた「プラグマティックメディスン」について参加者を対象に講義の予定です。温泉到着前には、山形城を訪問予定ですので、しばらくぶりにお城コラムの再掲をしておきます。

 山形城(10・山形)、押印は平成22年8月20日で、最上義光歴史観にてスタンプを押しました。ここは、市街地の公園型の城郭で、歴史館から城へ向かうと奥羽本線をまたいで大手口に至ります。中には体育館やら博物館、野球場までありました。訪問時は本丸など中央部を含め、整備中でしたので、現在はかなり充実しているのではないでしょうか。(と、当時書いているのですが、今回の訪問で完成しているでしょうから、再訪が楽しみです)

 かなり規模の大きなお城で、最上57万石時の大改修後、鳥居忠政の整備により現在の形になったとされ、奥羽地方最大規模の城郭です。
 全国でも五指に入るといわれ、城内にはご当地の英雄、最上義光公の躍動感あふれる騎馬像があり、大手口を出たところにはその歴史館もあります。一押し感が伝わります。地元としては大河ドラマの主人公、といきたいところですが、なかなかその道は遠そうです。個人的には東北の戦国時代ドラマは大変みたいのですが・・・一般受けしないでしょうね。
 歴史館では、スタンプを押して早々に城内へ行きたかったのですが、これまたご当地あるあるで、地域の英雄、最上義光公を愛してやまない説明ボランティアさんにつかまり、延々と二時間以上も解説されたのを今でも覚えております(笑)。ご当地の最上愛が伝わります。

 あまりに規模が大きかったにも関わらず、江戸時代になってからは石高の小さな大名しか城主とならなかったことで、整備に手が回らず、荒廃していったようです。さらには天保の改革の失敗に伴う水野忠精の入城に見られるように、一種の左遷の地として見られていたようで、とにかく頂点は最上時代なわけです。

 歴史的には「東北の関が原」とも称される長谷堂城の戦いが重要です。関ケ原の前段として、直江兼続が最上領に進軍し、本城である山形城に攻めあがるはずが、長谷堂城で手間取っている間に本戦関が原での決着がついてしまい、結果として落とせず、会津若松にまで撤退しています。

 一説では、上杉・石田による挟撃戦が模索されたとも言われますが、結局は東西において西軍敗北となってしまうわけです。但し、挟撃説は現在では疑問視されていますが・・・どうなのでしょうね。(八百長説までありますよね)とにかく、歴史小説では前半のクライマックスですよね。

配信元:裏辺研究所

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