忘れられない出会い①叔母のこと
2007〜2008年頃のことだろうか。
私は夫と共に五反田にある総合病院にかけつけた。
私の父の姉、「蒲田の伯母さん」のところへお見舞いに行った。
蒲田に長年住んでいて、私は小さい時から蒲田の伯母さんと呼んでいた。
伯母さんは叔父さんと床屋を開いていた。
夏休み、私達家族が田舎の祖父母の家に行くと大体蒲田一家も来ていて、伯母さんに縁側で髪を切ってもらっていた。
伯母さんはふくよかな人で、笑うと顔がまんまるくなる。
子どもだったから、大した話はしてないけど伯母さんに年に一回でも会うのが嬉しかった。
※
私がだんだんと大人になり、いつしか伯母さんが病気になったと父から聞いた。
あのふくよかな面影はなく、ひょろっと細くなった伯母さん。
骨と皮みたいな体になったけど相変わらず、にこやかだった。
私も離婚して東京に帰ってきていたから、たまに父と蒲田に行った。
伯母さんは「こいけなら、来てくれると思ったよ」と嬉しいことを言ってくれた。
伯母さんが五反田の病院に入院して、病室に行く前に五反田駅前の花屋で豪華な花束を作ってもらい、持っていった。
ガリガリに痩せてもう起き上がることも辛そうだったけれど、花を見てかなり喜んでくれた。
少し話をして帰ろうかとなった時、いきなり伯母さんがナースコールのボタンを押した。
急いで看護師さんが来る。
「歯ブラシを持って帰るから。私もそろそろ帰りたい」と。
見ていて辛かった、泣きたかった。
私達は帰れるけど伯母さんはたぶんもう帰れないことが分かっていたから。
帰りの車の中で色々考えた。
もう会えないのかな。
黙って高速を走る。
すると建設中のスカイツリーが見えた。
あのスカイツリーが完成するまではどうか生きていて。
完成したスカイツリー、見ようよ。
心の中で伯母さんに話しかけた。
結局それが私と伯母さんの最後のお別れになった。
安らかに眠っている伯母さんの顔を見に再度蒲田に行く。
昭和の古びたトタン屋根の家は今にも壊れそうで、お世辞にもきれいとは言えない。
けど伯母さんにとっては大好きな家だったんだよね。
叔父さんと子どもたちと暮らした、大事な家。
叔父さんも去年亡くなり、今は息子さん夫婦が住んでる。
あれから蒲田には行ってないけど、あの花を渡してから息子さん夫婦とは年賀状のやりとりしている。
スカイツリーを見ると伯母さんを思い出すよ。
今は私にも子どもが産まれて、にぎやかにやってるよ。伯母さんには孫がいなかったから、見せてあげたかったな。
優しさをありがとうね。