巡り巡る。
情けは人の為ならず
結局は巡り巡って自分にかえってくる。
最近父の一言一句が気になる。
こうしたらいいのに、なんでこういう考え方ができないんだろう?
そう思って勝手にイライラする。
そう。「勝手に」なのだ。
父のことを夫や姉妹に話す。
でも愚痴ったところで父は1 mm も変わらないのだ。
父は父の人生を生きてるから。
昔父に言われたことややられたことを頭の中でリピートしては落ち込み嘆く。
そんな悶々とした毎日を送る中で様々な気づきがあった。
認めなくていい。許さなくていい。
ただ現状として「そういう事柄があるんだ」と自分の中で認識をすること。
そして心の中の良心はいつだって私の言動を聞いているということ。
認めたくないということは、自分の中で悲しさや寂しさがあったということを理解してあげるということ。
これは私が父に対する事例だが世の中のどの人だって当てはまることで。
嫌な事を言ってくる友達がいる。あわない人がいる。
どうしてこう動いてくれないんだろう?
もっとこうしたらスムーズに行くのに。
大なり小なりみんな抱えていることだと思う。
だからそういう時には「そういう考えを持ってるんだな」とか、「この人にこう言われて私は思ったんだな」とまずは一旦認識してあげることからがスタートなんだと思う。
あの人の行動がおかしいと思ったってあの人はかわらなくて、
自分が疲弊していくだけで。
投げかけたものは全て自分に返ってくるというブーメランの法則から、
私は父のことを人にとやかく言うのをやめたい。
自分が全て聞いているから。
この人は変わらないんだって諦めでもいい。
そもそも私がどうこうできる問題でもない。
関係ないっちゃ関係ないのだ。
その人はそういう学びの時期を今迎えているんだ。
それより自分の心が楽しくなることを少しの時間でも増やそう。
私は本を読むのが好き。
お茶飲みながら静かに音楽を流して本を読む時間が何より好き。
幸い、息子が学校はじまり夫も日中はいない。
日中だけは自分の時間が取れる。
そういう今自分が持てているものを一つ一つ見直していこう。
私に大事な時間があるように父にも大事な時間があるのだ。
7月の初旬、息子が夫と雑木林で2匹のカブトムシを取ってきた。
カブトムシのカブちゃん(昭和の名前私が命名)は、
元気に動き回り2匹で喧嘩をしよく餌を食べた。
おとといの朝一匹が動かなくなり土の中に埋めてあげた。
それを追うかのようにもう一匹が昨日の朝死んだ。
息子はさみしそうにしていたが、また来年とってこようね!と笑顔で言った。
これが自然の摂理なんだ。
生きている間に誰かを喜ばせることができたらそれだけで◎なんだ。
そう思いました。