思い出される人のこと 3
ここで思い出される人についてまず書いてみたいと思います。
前回、私が保育園に通っていた時に、母親と待ち合わせをした店があったと書きました。
ちょうど国立病院の前にそのお店はありました。
国立病院の前数件が商店になっていてそこが我が家から一番近いお店だったのです。
たしか、八百屋が二軒、魚屋が一件、それから薬屋があったと思います。
寿司屋がその後できたかと思います。
八百屋は一件はラーメン屋になったかと思います。八百屋二軒はやっぱり多かったのでしょう。
その後まで残った方の八百屋に若い方がいらっしゃいました。
たしか、お店のご主人の息子さん、店が続いていれば跡取りということになります。
多分、配達の仕事以外はそんなに差し迫った仕事はなかったのだと思います。オート三輪車かバイクで近所の食堂等に野菜を配達する以外は、お父さんの手伝い。といっても小さなお店なので、夕方の繁忙期のお客様対応以外は閑だったのだと思います。
とはいえ、どこかに働きにでかけるわけでもなく、一日店にいる状況。
午後の私の受け渡し担当となったのは、ある意味当然の流れだったのだと思います。
名前は、なんといったのか覚えが全くありません。忘れたのではなく、当時から名前で呼ばれることはなかったように記憶します。
お店の屋号が埼玉屋で、我が家では「埼玉屋のおにいちゃん」とか呼ばれていたようでした。
この人はずっとこの店にいて後をついだと思います。
この埼玉屋というお店の店の佇まいは私の脳裏にイメージがしっかりと焼き付いているのですが、いかんせんそれを書き出すことが私にはできません。
いや、こんな感じでした。お店の壁の一面にはたしか贈答用の果物のコーなーになっていました。病院に持っていくお見舞いだったのでしょう。それ以外の面と建物の内部は野菜やら果物やらが並んでいて、そこをおにいちゃんのご両親が取り仕切っていたのです。
ということはごく普通の八百屋さんですね。
ネットで調べてみても何も出てきません。
さてこのおにいちゃんの記憶です。
私が、幼稚園から埼玉屋まで一人で歩いて帰るのに大分慣れた頃のことです。
ある日のこと、埼玉屋まで帰ってきて、おにいちゃんに、その旨を伝えたところ、「今日おかあさんは忙しくって迎えにはこれないから、一人で帰りなさい。」と言われたのでした。
道はわかっていたので、国立病院の境目から、小道に入って、しばらく歩くと畑の一本道にでます。
多分200-300mくらい、畑の中を歩くのです。その途中で向こうからやってくる母に出会ったのでした。
母親からなぜここにいるのかと聞かれ、おにいちゃんとのやり取りをそのまま伝えたのだと思います。
母親からすると、畑の中の一本道が人通りと少なく危ないので、埼玉屋で待たせてもらっているのに、迎えに行けないなんて言っていないのに、ということで、怒りの苦情がぶつけられたのでした。
それから、おそくはそんなにたたない頃今度ははんなことがありました。
やはり保育園の帰り道。私の方が早く埼玉屋についた時のこと。
おにいちゃんが、家まで、カクーターで家まで送ってあげるというのです。子供にとってスクーターに乗る機会なんてそんなにあるはずがあありません。
私はすぐに了解したのだろうと思います。
畑の畦道をバイクで…。
意気揚々と帰ってきたのでした。ところがこの時は最後に落とし穴がありました。
家の前までバイクで帰ってきて、降りるときに、多分右足だったと思います。ふくらはぎが、バイクの排気の管…正しくはなんというのでしょう、に触れてしまったのです。
当時私は短パンをはいていましたので、直接触れてしまった結果、火傷をしてしまったのでした。
おにいちゃんはまたしても怒られたのは言うまでもあません。
このおにいちゃんは当時碌に働いてはいなかったけれど、後には店をついで頑張っていた記憶があります。
私より確実に20歳以上は年上ですから、今ご健在であれば85歳はすぎておそらく90-95歳くらいなんではないかと思います。
どこでどうされているのでしょう。
病院の前の埼玉屋をたたんだ後、どこか別の場所で八百屋を開店したと聞いたような記憶がかすかにあります。
母親はもう少し消息を知っていたのかもしれません。
もし、御健在ならばお会いしたい気もします。