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「山野幸一郎」という人間 高校まで

はじめまして!
僕の名前は山野幸一郎といいます。
よろしくお願いします!
noteを始めるにあたって、まずは自己紹介だな!と考えました。
では、さっそく自己紹介に入らせていただきます。


僕は九州は熊本の小さな村で産まれました。
猪が道を闊歩し、屋根の上を猿が歩き、ムササビが木から木へ飛び移る間に自宅の天井裏がアサインされる位の田舎でした。

そんな大自然の中でスクスクと育ち、今では体重が100kg身長が165cmという立派なドワーフ体系になりました。

そんな僕は小学校から高校まで剣道をしていました。
日々練習に明け暮れ、大事な青春時代も剣道に捧げました。高校生になった頃の進路では「第一に消防」「第二に警察」「第三に自衛隊」という風に考えていましたし、周りもそんな感じでした。
国のために働く!とまではいきませんでしたが、困っている人がいたら助けたいと考えていました。

そんな剣道に明け暮れた日々は高校二年生の時に終わりを告げました。
右手が動かなくなったのです。

正確に言うと、右手を動かすと激痛が走り握力が3しかありませんでした。
剣道をしている人は分かると思うのですが、一番の激痛は小手を打たれる時でした。試合では、避ければいいのですが、練習ではそうもいきません。
打たれるたびに激痛。竹刀を振っても激痛。
もちろん病院にはずっと通っていました。
「腱鞘炎だろう。」
と毎回言われ、鎮痛剤をもらっていました。
半年が過ぎた時に、
「腱鞘炎にしては長すぎるから精密検査をしよう。」
ということになり、結果、【右キーンベック病】という事が分かりました。
簡単に言うと竹刀の振りすぎで右手のひらの骨が1つ潰れてました。

「これ以上剣道をすると最悪手を切断することになる。」

ここで僕の剣道人生はあっさり終わりました。
僕は、ぼけーとしていて、付き添いの母は後ろで泣いていました。
セカンドオピニオンにも行きましたが、結果は変わらず。
帰り道に学校に寄り剣道の先生に結果を報告しました。
その時に僕は産まれて初めて泣き崩れました。
「すいません。僕はもう、頂いた恩を返すことは出来ません。」
と伝えたことは今でも覚えています。

こうして疑いもせずに進んでいた人生設計は崩れました。
ここで初めて、自分がやりたいことはなんだろうか?
という問題にあたってしましました。そんな事考えたこともありませんでしたね。
実家の椎茸農業を継ごうか・・・。タクシーの運転手になろうか。酪農をしてみようか・・・。
足りない頭で色々考えました。
オレの好きな事ってなんだろうか?剣道以外になんか打ち込めることってあるんかな?ゲームしてぇ。
あぁ!ゲームじゃん!オレゲーム好きじゃん!ゲーム作ろ!

ってな感じでゲームクリエイター科がある専門学校に進路が決まりましたとさ。

このくらいで第一回のnoteは終わりたいと思います。
あんまり長くても、見るの疲れるでしょうからね。

剣道してる人は練習後のストレッチ大事にしてくださいね!

次回、「ゲームクリエイターの専門学校行きたいって言いよるけど、お前全部赤点で進級も怪しいぞ。」

お楽しみに☆

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