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人間の存在構造と言語という領域
上のようなタイトルでざっくり書いてみたいと思います。
1.人間は、言語という領域(domain of language)を張り巡らせて生きる動物である。
2.言語という領域は、自然のままの「わたしたち」の外にある。
3.「わたしたち」は、言語という領域で生きることの重要部分を営んでいる。発話(内言、外言)は、「わたし」である。そして、発話は「わたし」=「わたしの意識」/「わたしという意識」である。
4.「わたし(の意識)」は自然のままのわたしの外にある。つまり、感覚器官を窓としてただ外部と交流しているわたしの外にある。
5.内言において「わたし」は「わたし」はここに在ると信じている。同様に、「わたし」の外言においても「わたし」はここに在ると信じている。
6.対話はどのように進展するか
「わたし」は「わたし」が立ち上がらせた現実という地を背景として、その地の上に自身の応答という図を立ち上がらせて、「わたし」の実存の証しとして他者に向ける。そうした状況に直面した他者は、観察可能なあらゆる発話の要因に基づいて自身に向けられたと思われる現実という地を立ち上がらせて、その地の上に自身の応答という図(実存の証し)を立ち上がらせて応答として発する。そうした状況に直面した相手(元の「わたし」)は、観察可能なあらゆる発話の要因に基づいて自身に向けられたと思われる現実という地を立ち上がらせて、その地の上に自身の応答という図(実存の証し)を立ち上がらせて応答として発する。
このように、能動的応答的理解を含む機能しつつある志向性の働きに基づいて、話者交替を繰り返しながら、図から転じた地から立ち上がる図という形で、つまり、状況を地として自身に取り込んでその上に応答の図を立ち上がらせる形で、対話は進展する。そして、そのように出来事や現実を相互構成的で相互承認的に協働的で共同で作り上げる。(cf.mutual comittment to the same talked-about realityとpeculiar circularity、Rommetveit, 1985)