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ハヤシライス・ルーレット [ショートショート]

昼下がりの食堂は静かだった。カウンター席に座り、私はメニューをぼんやりと眺める。ハヤシライスが視界に入ると、胃がわずかに反応した。しかし、何か重たいものが喉元に詰まっているようで、注文をためらう。

「ご注文はお決まりですか?」と店員が尋ねる。若い男性で、声に少し緊張が混じっている。私は曖昧に頷きながら、メニューをルーレットのように指で回す。最後に指先が止まったところにあったのが、やはりハヤシライスだった。

「ハヤシライスをお願いします」と口から勝手に出た言葉。彼はメモを取り、厨房へと向かった。私は視線をカウンターの木目へ落とす。記憶が、忌々しい場面を引きずり出してきた。

その日はちょうど、会社の同僚とランチミーティングがあった。私が推薦したのがこの食堂で、メインメニューにハヤシライスがあることを知っていた。だが、同僚の一人がアレルギー反応を起こし、救急車を呼ぶ事態になった。

彼は無事だったが、周囲の視線と責任感が重くのしかかる。推薦したのは私だと責められることはなかった。それでも、心の奥底に罪悪感が沈んでいるのを感じる。あの日以来、ハヤシライスを目の前にすると、心がざわつくようになった。

注文した料理が運ばれてくる。湯気を立てる茶色いソース、光沢のあるご飯、ふんわりとした香り。見慣れたはずの光景に、体が一瞬緊張する。だが、スプーンを手に取り、一口を口に運んだ。

甘さと酸味が絡み合い、どこか懐かしい味が広がる。頭の中で「罪」という文字が浮かんでは消えた。あの日の出来事が、私の中で過剰に膨らんでいるだけなのかもしれない。料理そのものには、何も罪はないはずだ。

再びスプーンを持ち、もう一口を運ぶ。気が付けば皿の上のルーレットは空になり、私は深く息を吐いた。ふと、隣の席の女性が同じハヤシライスを注文しているのが耳に入る。彼女は明るく笑いながら、料理を楽しんでいる様子だ。

「どうかしていたのは、私の方だったのかもしれない」そう思いながら席を立つ。食堂の扉を押すと、外の風がひんやりと頬を撫でた。罪悪感も、少しだけ軽くなった気がした。

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