天真爛漫な音色 [ショートショート]
リビングの壁際に置かれた電子ピアノは、いくつもの指紋が薄く光を反射している。七歳の姪が遊びに来るたび、好き放題に鍵盤を叩くからだ。その音は音楽とは程遠いが、本人は真剣そのものだった。今も、鍵盤を指で乱暴に押しながら、自分だけに聞こえるメロディを奏でている。
「お姉ちゃんも弾いてよ!」姪がピアノの椅子から振り返り、無邪気に笑った。彼女の天真爛漫な笑顔に負けて、私はため息をつきながら椅子に座り直す。彼女の小さな手が「私も一緒に弾く!」と言わんばかりに鍵盤に乗る。
「じゃあ、簡単な曲をね」と言いながら、私は『キラキラ星』の最初の音を鳴らした。すると彼女は両手で真似し、ランダムな音を重ねてきた。音がぶつかり合い、不協和音が部屋いっぱいに広がる。だが、彼女は気にする様子もなく、声まで出して歌い始める。
思わず苦笑しながら、私は伴奏のようにベースラインを弾くことにした。メロディは滅茶苦茶だが、低音を整えると奇妙な一体感が生まれる。姪の声と笑い声、鍵盤の音、それに私のベースライン。それらが交わり、部屋の空気が柔らかく変わった気がした。
「もっと速く!」彼女は言いながら、無理やり私の手を押してテンポを上げる。私は一瞬、手元が乱れたが、それも構わず演奏を続けた。速くなるほど、彼女の声も音も混ざり合い、まるで小さな合奏団が目の前で響いているようだった。
曲が終わると、彼女は満足げに拍手をし、自分の演奏を褒め始めた。私は疲れながらも笑顔を見せる。それが彼女の特別な時間だったのだろう。壁際の時計を見ると、夕飯の時間が近づいていた。
「じゃあ、これで最後ね」と言うと、彼女は少しだけ頷き、また鍵盤に手を置いた。今度は真剣な顔をして、最初の音を鳴らした。どんな音でも、彼女にとっては大切な音楽だった。
部屋いっぱいに広がった音は、心地よく余韻を残して消えていった。