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終電前 [ショートショート]
終電を逃す寸前だった。仕事が終わらず、オフィスを出たのは夜も更けた頃。電車に間に合わなければタクシー代を払う羽目になる、そう思いながらもつい無意識に足を緩めてしまう自分に気づいた。なぜか足取りが重かった。
路地裏の近道を急ぎ足で抜けようとした時、ふと、視界の端に小さな影がよぎった。自販機の横、薄暗いスペースに一匹の猫が座っている。全体的にくすんだグレーの毛並みで、丸まった背中がどこか人間くさい。その野良猫と目が合った。
「寒くないの?」思わず声をかけてしまった。猫はじっとこちらを見返し、答えるわけでもなくただ静かに目を細める。小さなため息をつくと、猫は体をくるりと回し、向こうの路地へとゆっくり歩き出した。引き寄せられるようにその後ろをついていく。終電が頭をよぎったが、なぜか急ぐ気持ちは薄れていた。
猫は角を曲がり、さらに細い路地へと消えていった。ひっそりとしたその場所は、人の気配が全くない。ただ、夜の冷え込みが一層肌に染みた。猫は時々こちらを振り返りながら、まるで案内しているかのように道を進む。どこへ向かっているのか、その意図もわからないのに、足を止めることができなかった。
やがて猫は小さな公園の入り口で立ち止まり、こちらに振り返って小さな鳴き声をあげた。公園の中には、ベンチが一つあるだけの寂れた空間が広がっている。見上げると、古びた街灯が一つ、淡い光を放っていた。
猫はそのベンチのそばに腰を下ろし、再び静かにこちらを見つめる。終電の時間を確認しなければならないのに、すでに時計を気にする気持ちはどこかに消えていた。彼女は公園に足を踏み入れ、ベンチに腰掛ける。夜の静けさに包まれ、冷えた手をこすりながら猫を見つめた。
猫はしばらくその場にいて、そしていつの間にか姿を消していた。まるで「またね」と言っているような気がした。
ふと気づけば、終電の時間はとうに過ぎていた。